兼続の漢詩

〜春夏秋冬〜

歳旦
螢簾入
菊花
雪夜囲炉

 




 


冬の寒風がすっかり吹き去って、再び春がめぐってきた。春色がゆったりとあたりを満たし、日足も長くなった。池の水面に垂れる、柳の新芽の緑がすがすがしい。欄檻の前にさわやかな気配が漂っているのは、早咲きの梅が香っているせい。


「歳旦」とは、元旦の朝のこと。年が明けて春がやってきたことの喜びを歌い上げたもの。天正7年(1579)、兼続20歳の時の作である。


20歳という若さでの作詩ということもさることながら、この年、天正7年は、御館の乱の真っ最中である。同年3月、景勝と継嗣を争った景虎が自刃し、景勝が上杉家を継ぐことになるが、この年の元旦の時点では、まだその行く末は決していない。景勝側に勝機が感じられるようになった時期であるにしても、大変な時期であったことに変わりはない。それにもかかわらずこのようなのびやかな春の詩を詠じた兼続の心持に驚嘆せずにはいられない。

 

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すだれの中に入り込んだ蛍を詠じた詩。


竹林の間を横切って飛んできた蛍が、忽ち目の粗いすだれの中に入って、夜の気配がいっそう深まる。その様は、あたかも客星(彗星のように、一定の位置を持たない星のこと)が帝座を侵しているかのよう。一点の光が、薄布をはった窓にそこだけともし火を灯したように映し出されている。


第四句にある「丹良」とは蛍の異称。


すだれの中に入ってきた蛍の様を「客星が帝座を侵す」ごとくである、という第三句の表現は、蛍を表現したものにしては、少々大げさ過ぎる気がするが…。なにか鬱屈した思いがこう表現させたのか、それとも単におどけたように表現してみせただけなのか。


いずれにしても、最終句、窓紗に映った一点の蛍の明かりが、夏の暑さを忘れさせてくれるようですがすがしい。

亀岡文珠堂奉納詩歌百首中の一首である。

 

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菊の花の美しさを愛でた詩。


ことに第一句の歌いだしが美しい。のどやかな秋の日に咲く菊の花。露に濡れて香り立ち、鮮やかな色彩が枝々に満ちている。


第三句にある「西施」とは、中国の春秋時代の人で、呉王夫差の寵妃で絶世の美女だったという。一・ニ句で、見事な菊花の様を歌いこみ、後半で西施という美女を持ち出すことで菊花に、最上級の賞賛を与えている。


また、三・四句は、中国の故事や詩を引用しており、詩趣に深みを加えている。


穏やかな秋の日に咲く菊花の美しさが手に取るように感じられる一編である。


亀岡文珠堂奉納詩歌百首に載る。

 

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雪の降る夜、炉を囲んで気のおけない友人と時を過ごす。情は更に深まっていくよう。

好きな詩歌を口誦さんで各地を巡り、今こうして友と向かい合っていると、かつての栄光も現在の状況もすべて忘れてしまう。


「江南の良策」も、用いられることなく終わってしまったのだから、今はこうして芋を焼いている。

いろりの火で焼かれる芋の香りがなんとも芳しく漂っている。


第三句「江南の良策」というのは、中国の故事にあるらしい。


一説に、関ケ原のとき、小山で家康が退却した際に、兼続は家康の背後を突くことを進言したが、それが用いられなかったことを言っているとも。


たとえこれが、関ケ原の件を暗示しているのだとしても、兼続はそれを過去のこととして清算しているのである。決して主君景勝をそしっている類のものではない。


芳ばしく香る芋の焼けるにおいが、そうした過去の出来事をすべて忘れさせてくれるようで…


ここで、兼続と相対して座しているのは、誰だろうか。風流を解する気のおけない友。私の脳裏には、前田慶次の存在が思い起こされるのだが。客分であった慶次なら、「江南の良策云々」と、兼続が漏らしたとしても、無邪気な愚痴と笑い飛ばしてくれるような気がするのだ。

 

 

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