Vol.6 篠原古戦場


■篠原合戦■

 倶利伽羅峠の戦いで敗北した平家軍は加賀国篠原に退いていった。
 木曽義仲軍は平家の軍を追い、両者は篠原で対峙する。
 義仲軍も犠牲はあったが、軍の勢いは平家の比ではない。「駆武者(駆り出されて集められた武者)」の平家軍はわれ先にと逃げ落ちていった。


■齋藤別当実盛■

 平家の軍勢が退却していく中で、ただ一騎防ぎ戦う武者がいた。赤地の錦の直垂に、萌黄縅の鎧を着けて立派な鍬形の前立ての兜をかぶっている。金覆輪の鞍を置いた連銭葦毛の馬に乗っている。相応の身分ある武者と見受けられる。これを見つけた義仲軍の信濃国住人手塚太郎光盛が戦いを挑む。

 手塚は相手に名乗るよう声をかけるが、武者は、「存ずる旨があれば、名乗ることはあるまいぞ。」と言って、ついに名乗ることはなかった。
 手塚はその首を取り、大将の義仲のもとへ届けた。
 義仲は一目見るなりそれが齋藤実盛であることを知る。しかしかつて見たことのある齋藤実盛は白髪の混じる老武者だったが、目の前の首の主は黒々とした髪の持ち主である。
 義仲は、実盛をよく見知っている樋口次郎兼光を呼び寄せて、その首を見せた。
 兼光はただ一目見て、「あな無慚、齋藤別当にて候ひけり。」と言ってはらはらと涙をこぼした。

 実盛は越前の出身で、もともと源為朝・義朝に仕えていたが、保元・平治の乱後平家に仕えるようになった。
義仲の父義賢が殺された時、実盛は幼い義仲を殺すのに忍びなく、木曽の中原兼遠のもとに義仲を預けたのだった。実盛は義仲にとって命の恩人なのである。
 実盛は「存ずる旨」があって名乗らなかった。実盛であることを知れば、義仲は過去の恩返しに命を助けてくれるだろう。
 実盛は討ち死に覚悟でこの戦に臨んでいた。赤地の錦の直垂を身につけていたのも、故郷に錦を飾るため、主君平宗盛から特別に許されたものだった。確固たる意志の前に恩情は無用だった。恩にすがることなく自らの生を全うして散っていた実盛。それは決して後ろ向きな姿勢でない。生に対する凛とした厳しさ、生ききることの見事さを感じる。


■実盛塚■

実盛の亡骸を葬ったとされる塚。
見事な松の大木が、塚を抱きかかえるように植えられている。


■首洗い池■

 実盛はかつて樋口兼光に語ったことがあった。

 60を過ぎて戦の陣に出る時には、自分は髪を黒く染めていくことにする。若武者と競って先駆けをするのも大人気ないし、白髪の老武者といわれて敵に侮られるのも口惜しいものであるから・・・・・・。

 果たしてその髪を洗ってみると、元の白髪になったのである。

 上の写真は実盛の首を洗ったとされる首洗い池。

池のほとりには実盛の兜を前にして、見事に散っていった老武者実盛の死を悼む義仲主従の像がある。
 床机に腰掛けている義仲は、かつての恩人実盛の首級をしっかりと抱えている。義仲の正面が樋口兼光、中央が手塚光盛だろうか。

【アクセス】

篠原古戦場…加賀市手塚町

柴山潟から日本海に注ぐ新堀川にかかる源平橋より7〜80メートルほどのところに首洗池があります。数台止められる駐車場完備。

首洗池から実盛塚へは直線距離にして約1キロ。
道沿いに「実盛塚」の標柱が立っていますが、注意していかないと見逃してしまいそうです。
こちらは駐車場がありません。路上に止めて2,3分見学して戻ってきました。


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