Vol.11 時国家(石川県輪島市)



時国家は能登に配流となった平時忠の子時国を祖とする。

国道249号「曽々木口」交差点を宇出津方面に車を走らせると「時国家」「上時国家」の看板が見えてくる。

現在時国家は二家に分かれている。これは、かつての時国村の領有に関する事情によるもの。
天正9年(1581)能登は前田利家が領有することとなるが、慶長11年(1606)には、時国村の一部が越中土方領となり、時国村は前田家と土方家の二重支配を受けることになった。江戸初期に、第12代藤左衛門が長男に時国家(現・上時国家)を継がせ、自らは隠居所を立てて移り住んだ。その後、藤左衛門は次男に隠居所を継がせ、もう一つの「時国家(下時国家)」が誕生する。(「上時国家」のパンフレットより。ただし、「時国家」のパンフレットによると、「13代藤左衛門時保」が時国家を二家に分立。自らは加賀藩領に居を定めた、とある。)
本家「上時国家」は土方領に、分家の「時国家」は前田領になった。

江戸期を通じて、「上時国家」は大庄屋を務め、また、「時国家」は加賀藩の山廻役、御塩懸相見役、御塩方吟味人役などを務めたという。


■上時国家

上時国家屋根入り口付近、修繕工事をしていましたので、こちらは屋根だけ・・・

建物は国指定の重要文化財となっている。













鎌倉風の地泉回遊式庭園


■時国家(下時国家)
時国家外観外観。
こちらも重要文化財。
大戸口を入ってまず目を引くのは、土間の中央にある大黒柱。

庭園内には、安徳天皇を祀る邸内社がある。



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