過去ログ−8

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関ケ原』 投稿者:よーぜん 投稿日:2002/01/08(Tue) 12:02 No.851

この正月は司馬遼太郎さんの『関ケ原』を読みました。とは言っても、まだ全巻読んではおりませんで、とりあえず上巻のみ読破しました。
それぞれの大名たちが、それぞれの思いを抱いて、戦に臨んだのだという認識を更に強くした次第です。
三成のことを子供がそのまま大きくなったような「小僧」というような表現、さすが的を得ているなあと感嘆致しました。
私が気に入ったのは、世捨て人のような雰囲気(あくまで雰囲気)の島左近。三成の欠点を知り尽くしていて、そこがまた三成の三成らしい所以なのだが、ほかの者には通用しないということも知っている。父親のようなまなざしで三成を見守る左近がなんともカッコよかったです。
兼続は、三成と密謀していましたね(笑)。中・下巻ではもっと登場するのでしょうが・・・
家康は、これまた憎たらしいほど狸オヤジでした(爆)。
関ケ原合戦の全体像を知るにはもってこいの小説だと思いました。
はやく全巻読破せねば・・・

  Re: 『関ケ原』 トラマ - 2002/01/08(Tue) 13:32 No.852

よーぜんさん、あけましておめでとうございます。
今週後半に北陸方面へ出張しますが
殺人的なスケジュールでまわるため
金沢も寄りますが大河で盛り上がっているであろう街の雰囲気も
味わうことなく帰ります(笑)
関ヶ原ってビデオ出てますがそちらは御覧になりました?
兼続は・・・ちょこっとしか出てこない(泣)
ただ加藤剛さん演ずる三成はなかなかいいと思いますよ。

自分の中で一番の三成は
大河ドラマ「徳川家康」での鹿賀丈志さんが演じた三成かな。

  Re: 『関ケ原』 よーぜん - 2002/01/09(Wed) 10:48 No.853

トラマさん、おめでとうございます。
関ケ原のビデオはまだ見ておりません。見たいとは思っているのですが・・・

今週後半北陸方面へ来られるのですか。なにもこんな時期にって、お仕事だからしょうがないですよね。
雪、すごいです。昨日なんて、強風と雪と雷で、めちゃくちゃな天気でした。少しずつ落ち着いてくるみたいなので、週末くらいにはだいぶ雪も解けるかもしれません(そうあることを願う。)。いずれにしても、お気をつけて。よーぜんは週末、越山します。それこそなにもこんな時期にって、言われそうですが・・・

  Re: 『関ケ原』 雲の絶間 - 2002/01/09(Wed) 12:30 No.854

ダビングしてお持ちしましょうか。詳細はあちらで。

 

歴史を動かした人物 投稿者:よーぜん 投稿日:2002/01/10(Thu) 09:31 No.855

↑という題で、昨日の「そのとき歴史は動いた」が放映されていましたが、ご覧になったでしょうか。
視聴者のアンケートに基づいて1位から15位までのランキングを発表していましたが、織田信長、坂本竜馬、徳川家康、豊臣秀吉など、ああ、やっぱりな、という面々が並んでいました。当たり前すぎて、なんだか拍子抜け。
で、ここで、新たにみなさんにお尋ねしたいと思います。
「あなたの考える『歴史を動かした人物』を教えてください。」昨日のランクに入っていた人でもOK。イチオシの人物を教えてください。
ちなみに私の考える「歴史を動かした人物」は、保科正之。
徳川幕府ができて半世紀。武断政治から文治政治への過渡期にあって幼将軍家綱の輔弼役として、彼の打ち出した政策の数々は高く評価されるものがあると思います。歴史上、「名君」と呼ばれる人はたくさんいますが、彼こそ名君中の名君といってもいいでしょう。(知名度低いですが)幕末の会津藩を動かした影響もあわせれば、わたしのイチオシは保科正之ですね。
あと、種子島に鉄砲を伝えた人。

  Re: 歴史を動かした人物 三楽堂 - 2002/01/10(Thu) 19:11 No.856

イチオシでは絞りきれないので、サンオシくらいさせてください。
ちなみに信長はわたしのランクでいうと、5〜6番目かな。

藤原不比等・・・律令制定を主導し、長い間、日本のかたちに影響
を遺した人。「古事記」を上梓させ、前時代も思うように創作、現在もそのパワーは持続しているかも?

源頼朝・・・・・鎌倉幕府という強権力の形成。北条氏が整備した
ものではあるが、その巨大なネームバリューでこちらを採った。
以後の武家権力の模範となった。

大久保利通・・・維新最大の功労者(マイナス面も含めて)。西郷、
竜馬もいいですが、やはり海外を見ている差が大きい。志士では一
流ではないかもしれないけど、幕末以後、最大の政治家と思います。

「あと、種子島に鉄砲を伝えた人。」というよーぜんさんの視点で
言えば、すぐさまレプリカを作らせた少年領主・種子島時堯を加え
ても面白いかもしれませんね。

で、われらが上杉謙信&直江兼続の出番はないのか、と言うと。

日本人の精神形成に影響を及ぼした人・・上杉謙信(義塩など)
活字印刷史に足跡をのこした人・・・・・直江兼続(銅活字出版)

ということになりましょうか。

  Re: 歴史を動かした人物 法城寺@天神通り - 2002/01/11(Fri) 11:47 No.857

私は戦前の教育に於いて逆賊扱いの人達にも歴史を動かした人に加えたいですね。
足利尊氏と近藤勇です。

  Re: 歴史を動かした人物 雲の絶間 - 2002/01/11(Fri) 12:29 No.858

あの番組の最後・・・信長だけ間に合ってみることができましたが、いずれにしろ、あの番組を見ている人で、なおかつわざわざアンケートに答えようという人たちが選んだ15人ですから。一般的な順位とはいいがたいでしょう。でも、マッカーサーとかももれなく入っていましたから、奇を衒っていない分は妥当な意見だと思います。

では、三楽堂さんと法城寺さんとバッティングしない人をわざと選んでみました。
足利義政と日野富子・・・結果的に無為無策の政治が時代を動かしてしまったということで。応仁の乱がなければどれほどの文物が京都に残ったか。あるいは、東山文化がなければ日本文化は生彩を欠いてしまうという二律背反のキーマンとなった夫婦ということで、セットで一票。

  Re: 歴史を動かした人物 アタラシ - 2002/01/11(Fri) 19:21 No.859

私が思い当たるのは明智光秀でしょうか。
あの織田信長をどういう作意からかは諸説がありますが倒し、秀吉、家康へと続く乱世に導いたのは確かに歴史を動かした人物に値するものの一人だと思います。
あのまま信長の治世が続いていたら歴史はどうなっていたでしょうね。少なくとも現在、後世に語り継がれるようになった戦国の人物たちは
信長によって滅ぼされていたかも…。(家康の嫡男・信康と同じく命を
絶たれていたかも)
歴史に『もし』という言葉は禁物ですが、そんな気もします。

  Re: グッド企画 タノQ - 2002/01/11(Fri) 20:54 No.860

坂本竜馬及び近藤勇(関連して清川八郎も)は外せない處に御座いますが二者とも既に名が挙って居ります
いっそブッ跳んだ処で厩戸王子、後鳥羽上皇は如何でしょう?

アンチNHKでアンチ皇室な私が裏腹な事を申上げました(^^)

  Re: 歴史を動かした人物 又左衛門 - 2002/01/11(Fri) 22:01 No.861

歴史を動かしたのは、前田利家の死。
利家がもう少し長生きしていたら、関ケ原もなかったのではないでしょうか。(でも、家康がいたら同じことかな?)

  Re: 光秀は14位でしたっけ? 雲の絶間^ - 2002/01/12(Sat) 00:09 No.862

聖徳太子もはいっていましたね。

又左殿、おひさしぶり。今夜からはこちらの代理人をなさいませんか?

  Re: 歴史を動かした人物 トラマ - 2002/01/12(Sat) 23:57 No.863

うーん・・・僕もいっぱいいるなぁ。
戦国と明治をはずして考えたいんですが
聖徳太子は入れたいですねぇ。
あのドラマの影響じゃあないでしょうけど。
むしろ聖徳太子よりも名も伝わっていないような
渡来人のほうが影響力は大きかったような・・・。
それから平清盛。
上で三楽堂さんが源頼朝を上げてるけど
その先鞭をつけたのは清盛だと思う。
これも実は日経でやってる小説の影響大だったりする(爆)
あとは・・・戦後の日本に影響を与えたという意味では
マッカーサーかな

  入れたくないけど。 石田 治部 - 2002/01/13(Sun) 11:46 No.864

皆様のを読み、2日間考えたのですが・・・、
皆様が押してる英傑とはかけ離れてる人物しか浮かばなかった
ので書くのをやめようかともおもいましたが・・・。

「小早川秀秋」に1票!
豊臣政権と徳川政権という明らかに違う政権への交代を
かけた合戦の鍵を握ってしまった人物。

 

たくさんの投稿、ありがとうございました 投稿者:よーぜん 投稿日:2002/01/14(Mon) 12:16 No.865

「歴史を動かした人物」に関するたくさんの投稿、ありがとうございました。
良く知られた人物もそうでない人物も、それぞれに歴史に関わっていた、ということを改めて認識致しました。
今後も募集は継続しますので、「この人!!」と思う人物がいたら、書きこんでください。

三楽堂さん
わが謙信公&兼続をあげてくださってありがとうございました。(手前みそになりそうだったので、あえて戦国期は避けたのですが・・・)

  Re: たくさんの投稿、ありがとうございました 三楽堂 - 2002/01/16(Wed) 23:54 No.869

こういう企画は迷いますね。
若い頃と年を経た頃とでは、とりあげる人物も違ってくるかもし
れません。

わたしは、これからも上杉謙信とその一党について、よい部分も
そうでない部分も含めて探究していきたいと思います。

  Re: たくさんの投稿、ありがとうございました よーぜん - 2002/01/17(Thu) 17:35 No.870

>これからも上杉謙信とその一党について、よい部分も
>そうでない部分も含めて探究していきたいと思います。

力強いお言葉。私も三楽堂さんを見習って、探求を深めたいと思います。

  リンク 三楽堂 - 2002/01/17(Thu) 20:31 No.871

わたしは勘違いしてました。とっくに春雁抄にリンク張ったとば
かり思っていたのですが。本日、うちからリンク張りましたので
遅ればせながらお知らせいたします。

http://www.asahi-net.or.jp/~jt7t-imfk/taiandir/taian01.htm

  Re:リンク よーぜん - 2002/01/18(Fri) 10:57 No.874

三楽堂さん、ありがとうございました。
素敵な紹介文をつけてくださって。
これからもよろしくおねがいします。

 

昨日は 投稿者:法城寺 投稿日:2002/01/14(Mon) 15:29 No.866

お目にかかれず残念でした。いろいろとご心配かけまして申し訳なかったです。
昨日は楽しかったようで何より、本当でしたら刀剣室の方で解説申し上げたいところでしたが、章奴さんがいらっしゃるので安心してました。
歴史を動かした人物は非常に良い題材ですよ、一つのコンテンツにしてもおかしくない題材ですね。それぞれの思い入れがあって面白いです。

  Re: 昨日は よーぜん - 2002/01/14(Mon) 17:43 No.868

山城会は大盛況でした。
法城寺さんにもお会いしたかったです。機会がありましたら、刀剣博物館などで解説などお願いしたく思っております。
おっとその前に、ご自慢の愛刀を拝見したいですね。

  Re: 昨日は PIKO改め須保孫右衛門角長 - 2002/01/17(Thu) 22:32 No.872

法城寺先生
お久しぶりです(と言っても3日前の書き込みですが。)
おうちの方が大変で行かれなかった様ですね。
心配な御気持ち、分かります。
大変ですが、看病頑張って下さい。

姉上
お写真拝見致しました。
姉上は、ちょいとイメージ通り。
絶間さんはイメージと違ったかな?

  Re: 昨日は 法城寺@天神通り - 2002/01/18(Fri) 11:29 No.876

須保殿、ご心配いただきありがとうございます。
うちの母親は以前から偏頭痛と高熱持ち(こんないい方あったっけ?)でして、しょっちゅう38〜39度の熱出して寝込むんですよ。
月に2〜3回これを繰り返して10日前後は伏せってます。でかい総合病院に行かないんで、困ってます。

  Re: 昨日は PIKO改め須保孫右衛門角長 - 2002/01/18(Fri) 20:47 No.879

私は実母を小さい病院で死なせてますし、私自身もアトピー持ちですが、大学病院で薬貰ったら結構調子いいです。
やっぱりでかい病院の先生のが、色んな症例に出っ食わしてましょうから、そっちのが本当はいいんでしょうけれどねえ・・・。

  Re: 昨日は 法城寺 - 2002/01/18(Fri) 21:11 No.880

うちは、三年半前に父方の祖母が102で亡くなりました。亡くなる数年は寝たきりでボケもすすんでそれは大変でしたが、私の母がずっとこもりっきりで看病してました。亡くなってやっとおやじと二人っきりの生活で、おやじも某企業の代表権をもつ役員やってましたが「引退しようかなあ」なんて言ってまして、これから夫婦ふたりっきりで老後を楽しもうとつぶやいたのもつかの間。肺繊維症という肺の酸素吸入力が低下し、肺がスポンジのようになってしまう国の難病指定の病気にかかっている事がわかりました。で、祖母の死後半年で逝っちまいました。それから三年、母一人ですが、なにかと気弱になり、とかく寝込む日が多くなりました。どうも喉頭あたりが悪く、町医者いわく「ただれている」そうです。抗生物質ばかり処方され、熱はしばらくすれば下がりますが、最近は一週間くらい熱が下がらず、また頻繁に起こります。私には兄貴夫婦がいますが、長らくアメリカ勤務。私が面倒見なくてはいけない。大病院が必ずしも完全とは言わないが、とにかく一回は精密検査を受けさせ入院させねばと説得しているのだが、あの時代の人間は「病院なんて」という人もいて困ってますよ。喉頭癌だったらとりかえしがつかないというに・・・。
愚痴ってしまいましたな。

  Re: 昨日は よーぜん - 2002/01/19(Sat) 10:20 No.882

法城寺さん
それは心配ですね。
うちの父も、病院など、一切かかったことがない人でしたが、脳梗塞を突然やられまして、一年ほど、入退院を繰り返していましたが、なくなりました。もう数年前のことですが。
母は一人で元気にしていますが、なにぶん年なので、心配なところはあります。
どうかくれぐれもお大事になさってください。

  Re: 昨日は PIKO改め須保孫右衛門角長 - 2002/01/20(Sun) 23:35 No.885

そうです。
お大事になすって下さい。
そしてそちらに集中して下さい。
応援しております。

 

おととい 投稿者:トラマ 投稿日:2002/01/18(Fri) 09:29 No.873

嶋津さんというかたが書かれた上杉鷹山の本を読みました。
あくまで私個人の印象ですが
某デーモンさんの小説以上に泣けました。
特に黒井堰建設に関連する部分の話はよかったです。
デーモンさん以上にいきいきした鷹山が見れるような気がします。

  Re: おととい よーぜん - 2002/01/18(Fri) 11:04 No.875

鷹山の話ですか。デーモンさんの小説の方も読んだ事はないのですが、(読まず嫌いというか、デーモンさんの本はあまり読もうという気がしないんです。「直江」はよかったですが・・・)読んでみたいですね。
その前に、「関ケ原」を読んでしまわねば。ようやく小山評定まできたところです。

  なんなんだよ(^^; 三楽堂 - 2002/01/18(Fri) 16:19 No.877

みんなして、デーモン、デーモンって。

嶋津義忠は隠れファンがいるそうですよ。

本日、『孝明天皇と一会桑』(文春新書)を立ち読みしてきました。中公新書からも『幕末の会津藩』ていうのが出てたし、最近多く
なってきた・・・
梶原平馬と佐川官兵衛がけっこう関心あります。

  Re: おととい よーぜん - 2002/01/18(Fri) 18:25 No.878

>みんなして、デーモン、デーモンって。

↑えっと、言い出しっぺは、どなたでしたっけ?(爆)

、『孝明天皇と一会桑』『幕末の会津藩』・・・どちらもおいしそう・・・

  関が原VS真田 石田 治部 - 2002/01/19(Sat) 00:36 No.881

私は真田太平記を読んでます。今は8巻が読み終わりました。
(九度山に移る所)はたしてよーぜんさんの関が原と
どちらがさきに読み終わるか?

 

どーしよう 投稿者:和泉守 投稿日:2002/01/20(Sun) 01:39 No.883

「花の慶次」全18巻、やっぱり買っちまったい!
・・・いつか買っちゃうんだろうなぁ、と自分でも思ってましたが。よーぜんさんにお会いしたのがいいキッカケだったんだろうな〜♪
どーしよう、幕末会津方面だけでも忙しいのに戦国上越・会津・米沢にもはまっちゃったら。そのうえ勢いで佐藤賢一さんの「ジャガーになった男」「双頭の鷲」「カエサルを撃て」「王妃の離婚」も全部一気に買っちゃった。これで中世フランスも守備しなくちゃならなくなっちまった。藤沢周平さんも隆慶一郎さんもまだまだ残ってるのに・・・麹屋さんじゃあるまいし身がもたん(爆)
お金もなくなった・・トホホ(/_;)

  Re: どーしよう よーぜん - 2002/01/20(Sun) 11:33 No.884

>「花の慶次」全18巻、やっぱり買っちまったい!

おお、和泉守さん、ついに、ですか。
お会いしたのが起爆剤になったと言うわけですね(爆)。
幕末会津、戦国、中世フランス・・・守備範囲をどんどん広げてくださいませ。次にお会いするのを楽しみにしています。

 

おお! 投稿者:法城寺 投稿日:2002/01/20(Sun) 23:40 No.886

6666のぞろ目踏みました。4桁ですから縁起も関係ないでしょう。
昔「オーメン」などという映画ありましたね。当時としてはセンセーショナルだったが、今見ると、なんてことないんですねえ・・・。「ジョーズ」の方がよっぽど怖い。

  Re: おお! よーぜん - 2002/01/21(Mon) 12:01 No.887

久しぶりのキリ番(ぞろめ)でしたね。
ご申告ありがとうございます。
「オーメン」・・・そんな映画がありましたねえ。

 

更新しました 投稿者:よーぜん 投稿日:2002/01/21(Mon) 12:15 No.888

久しぶりに当サイトのコンテンツの更新をしました。
「記録」を見たら、内容の更新、去年の10月の末に行ったきりで、実に3ヵ月ぶりの更新と相成りました。
前回「次はないかもしれない」として作った「関ケ原異聞」。三成に続いて今回は前田慶次に登場願いました。
この話を思いついたのは、先週、上京したときに乗った特急「はくたか」の中。車窓に広がる越後の雪景色を見ているうちに、なぜか兼続と慶次が思い出されて・・・
そして書いている間中、頭の中を流れていたのはラルクの
「snow drop」。で、題名は勿論「snow drop」の和訳したもの。英語のままではやっぱりイメージちがうかな?と思いましたので。題名がきれいすぎる気がしないでもないですが。

  いいよー!よーぜんさん 和泉守 - 2002/01/21(Mon) 12:54 No.889

読んでいるうちに、ここが職場の事務所だということを忘れました。
「よーぜんわーるど」にドップリ・・・外は本当に雪が降ってるような錯覚に陥りました。
文章のなかで、雪の「白」が最初から最後までビジュアルとしてイメージできて、極端にいうと映画のワンシーンを見ているようです。

兼続と慶次郎についてある程度知っている方なら、即引き込まれちゃうと思います。特に女性は。

さて、仕事に戻ろうか・・・
外はあいにくと雨です。

  Good! 三楽堂 - 2002/01/21(Mon) 18:27 No.890

前回の白刃よりわたしはこっちが好みです。
紫の上云々ってとこがいいですね。

よーぜんさん、歴史読本のショートショート・コーナーに応募して
みたら?
字数的にちょっと圧縮しなければならないかもしれないけど、ネッ
トのほうをオリジナル版にして、よーぜんさんによる「ディレクタ
ーズカット」版を投稿してみてはいかがでしょう?
題材的には今時分、申し分ないし・・・

  Re: 更新しました よーぜん - 2002/01/22(Tue) 10:56 No.891

和泉守さん、三楽堂さん、読んで下さり、ありがとうございます。
和泉守さんは、お仕事中にもかかわらず。
お仕事、ちゃんとしてくださいね。
れきどくのショートショートコーナー、ですか。
掲載されると、土方さんのテレカがもらえるんですよね。賞品欲しさに応募したりして・・

  Re: 拝読しました 雲の絶間 - 2002/01/22(Tue) 12:39 No.893

残念ながら慶次郎を知らないので、よーぜんさんの世界だけ。
みなさんが絶対に誉めるから、私は突っ込んでいいですか(爆)。
「前田殿」というように苗字でしか呼べないですか?地名とか、地位とか間接的な呼び名があれば、もっと時代がかっていいんですけど。
それと、これはイメージの違いなのでなんともいえませんが、「紫の上」か「若紫」か。私は「若紫」を押します。これはよーぜんさんご自身の名前に対するイメージなので、ご本人の好きなほうでいいです。

土方さんのテレカ・・・拝みたい。

  Re: さらにひとこと 雲の絶間 - 2002/01/22(Tue) 12:48 No.894

「滴り雪(しづりゆき)」が私のイメージでした。

批評家って、自分で書けもしないのに言うことは言えるというのを実感(爆)。ごめんなさいね。

Yahoo登録、おめでとうございます。

  Re: 更新しました よーぜん - 2002/01/22(Tue) 19:52 No.897

絶間さん
「ご批評」、ありがとうございます。
「滴り雪(しづりゆき)」、なんかこっちの方がいいですね。しっとりした感じですごくきれいです。
それと紫の上。紫の上とした方が、一般にわかりやすいかと思いまして・・・。でも、少女時代の紫の上ですから「若紫」としたほうがふさわしいのかもしれません。
あと、慶次の呼び方ですが、官職を持っている或いは自称しているわけではないし、地名でも「加賀殿」ではへんだし、かといって名前で呼ぶのはくだけすぎちゃいますから、「前田殿」と呼ぶのが適当かなと。いちおう客将ですから。

  Re: 土方さんのテレカ よーぜん - 2002/01/22(Tue) 19:55 No.898

実は1枚持っています。日野の土方歳三資料館で購入しました。

  Re: 土方のテレカ 三楽堂 - 2002/01/22(Tue) 21:42 No.900

わたしは五稜郭で入手。
往年の「土方役者」栗塚旭さんともお話しました。若王子で(笑)。かっこよくて、こわかった。

*慶次の呼び方・・・うーん。なんてしたもんでしょうね。

兼続「慶さん」
慶次「何かね、直さん」

*紫の上・・・・・・わたしも実は絶間さんの言うように「若紫」が
いいかな、と思ったのですが。あの少女の呼び名として「若紫」と
いうのはあるんでしょうか?
「若紫の君」とか? 若草の君なんていうと、源氏物語だと気づか
ない方もいるかもしれませんね。うーむ、難しい。

  Re: (^^ゞ   雲の絶間 - 2002/01/22(Tue) 22:15 No.901

兼続「慶さん」
慶次「何かね、直さん」

三楽堂さん、実は同じようなことを私も考えました。いきなり江戸時代になってしまいました(爆)。

「若紫」だけで54帖を思い浮かべない人は相手にしないとか。
私が持っている源氏物語は谷崎なんですが、若紫の巻の挿絵は、奥村土牛が描いておりまして、いぬきが逃がした雀が飛びたって行くのを見あげている少女という構図です。
これが小学生のころから抱いている「若紫」なもので、それ以外のイメージ抜け切れません。

  Re: 考え悩んだ末 よーぜん - 2002/01/23(Wed) 10:27 No.905

絶間さんにご指摘されたところ、一晩いろいろ考えて見ました。

まず題名
「滴り雪(しづりゆき)」―すごくきれいで情緒たっぷりで、飛びつきたくなるような語感があります。ですが、これはどちらかというと滴る雪、つまり雪解け的なニュアンスがあるような気がして、あの場面では、雪はまだ解けていなくて、固く残っている。「しずく」も言葉そのものの意味は結局同じようなイメージなんですが、「雪の雫」とすることで、解けてはいないもう少し固体的なイメージを出したかったんです。結果「の」をとって「雪雫(ゆきしずく)」に改めました。
ですが、「滴り雪(しづりゆき)」というのも捨てがたいので、いずれどこかで使わせていただきたいと思います。

紫の上
あの場面で慶次に言わせたかったのは絶間さんのいうとおり、いぬきが雀を逃がしてしまって乳母に泣きついていった姫君のイメージです。「この子はまだねんねで・・・」と乳母が源氏の君にいう、あの場面の紫の上なんですね。
で、私も谷崎源氏を引っ張り出してみました。(笑)
あれには付録がついていて、それぞれの巻で、登場人物がどんなふうに呼ばれているかというのが一覧になっているんです。『若紫』の巻で紫の上がどんなふうに呼ばれているか見てみると、「姫君」「若草」といういい方で呼ばれています。そこでいろいろ思案の挙句、最初の慶次のせりふのなかでは「『若紫』の姫君」、二人の会話の中では「若草の君」という言葉を採用しました。
で、なぜこんなに源氏にこだわるかというと、前田慶次という人は古典に造詣が深くて、米沢に旅立つ旅の途上で琵琶湖を渡っていくんですが、そのとき近くに石山寺がある、この寺は昔紫式部が源氏物語を執筆したところだった、というようなことを『前田慶次道中日記』に書いているからなんです。

最後に慶次の呼び方
兼続「慶さん」
慶次「何かね、直さん」

ふふ、いいですね、これ。あ、でも作中では採用してません(笑)。

 

Yahoo!に 投稿者:よーぜん 投稿日:2002/01/22(Tue) 11:07 No.892

当サイトが登録されました。
Yahoo!はHPを一つ一つチェックして登録するので、登録依頼しても登録されないことが多い、ということを聞いていたので、サイトを開設した当初、登録依頼をしたところ、なしのつぶてで、まあしょうがないか、と思ってあきらめていました。
で、先週、又左が自分のサイト登録依頼したら、登録されたというんで、じゃあ、よーぜんのサイトも依頼しておいてよ、と頼んで手続きしてもらいました。きのうYahoo!から登録しましたとのメールがあって、意外に早く登録され、ラッキーでした。
サイトの充実を図らねば・・

  おめでとうございます。 石田 治部 - 2002/01/22(Tue) 18:35 No.895

すばらしくおめでたいですね!
当サイトの更なる発展をお祈りいたします。
私が書き込みさせてもらっている数少ないサイトですから。

  Re: Yahoo!に 上杉景勝 - 2002/01/22(Tue) 22:16 No.902

早速確認させていただきました。
リストのいちばん最初に載っております。
おめでとうございます。
今後ともサイトの充実を期待しております。

  Re: Yahoo!に PIKO改め須保孫右衛門角長 - 2002/01/22(Tue) 22:34 No.903

私ン所も、大分以前に登録されたんですが、「武士」で検索しても出てこないし、「武士道」で検索しても出てこないし・・・。
はじめに「キーワード登録」で入れたんですけどねえ・・。
「武士の意気地」で検索してはじめてヒットしやがんですもん!

 

関ヶ原異聞。漢を見ました・・・ 投稿者:アタラシ 投稿日:2002/01/22(Tue) 19:30 No.896

関ヶ原異聞、拝見いたしました。なんて爽やかな漢たちの話なのでしょうか。故隆 慶一郎先生の描かれる漢を見た気がいたします。実に気分が良くなりました。ありがとうございます。
戦国の戦に生きた男たちの繊細で夢を忘れぬ心情。唯、強いだけの剛の者ではなく、不意に降り出してきた小雨にさえ心を傷つけてしまいそうな豊かな心。兼続と慶次郎の話にそんなものを感じずにはいられませんでした。

  Re: 関ヶ原異聞。漢を見ました・・・ よーぜん - 2002/01/22(Tue) 20:01 No.899

アタラシさん
ありがとうございました。
現実はそう簡単ではないのでしょうが、なにもこんなときに、と思うようなときに、兼続はしばしば連句の会などを催しています。現実逃避ということではなくて、一時でも現実を忘れてすごすという心の余裕を持ち合わせていたのではないかと考えています。そんなところが少しでも感じ取っていただけたなら、幸いです。

 

お久しぶりです・・・。 投稿者:麹屋芝洞 投稿日:2002/01/23(Wed) 00:02 No.904

山城会、楽しかったです。ぜひ次もやりましょう!
上野の桜がみたいな・・・。

さてTBS「関ヶ原」はやはり名作といえましょう。昔のこの局はこの
番組を見ても分かるように力がありました。今では一番時代劇を
作れないところになってしまっていますが・・・。
他も似たようなものですが・・・。

兼続関連の名シーンは三船敏郎演ずるところの島左近(名配役)と
細川俊之演ずる兼続が景勝の前で軍略を論じるシーン。
すごくかっこいいですよこれは。
「直江状」のシーンもなかなか良いです。
ただ、表情と台詞のありすぎる景勝にはちょっと困りましたが・・・。

前田慶次郎の呼び方
自称官職も無ければ失礼が無いようにするには姓か通称を
呼ぶしかないですね。「前田殿」「慶次郎殿」になるのでしょうか?
慶次郎が兼続を呼ぶ場合、これは「直江殿」「山城殿」で
良いでしょう。

蛇足ながら、先代を呼ぶ場合はぜひ「不識庵さま」「不識庵公」と
よばせてみてくださいませ。(好きなもんで・・・)

和泉守様
過褒にあずかり汗顔の至りでございます。
私のお勧めは・・・。
司馬さんはとりあえず私がどうこう言うまでもないので・・・。
陳舜臣さん、塩野七生さん、堺屋太一さんあたりでしょうか。

  Re: お久しぶりです・・・。 よーぜん - 2002/01/23(Wed) 10:37 No.906

麹屋さん、お久しぶりです。

「関ケ原」原作もまだ中途半端です。
司馬さんの作品って、「燃えよ剣」のときもそうでしたが、斜め読みができません。腰を落ち着けないと読めないというのがあって、なかなか先に進めません。言い訳ですが・・・(笑)
でも、それぞれの武将を実に的確に描いているな、というのが印象です。
ビデオを見るのが楽しみです。

>先代を呼ぶ場合
是非、仰せのままに・・(笑)

  Re: では次回 雲の絶間 - 2002/01/24(Thu) 09:33 No.912

麹屋さん幹事で「観桜会」ですね。
始発で上野に行って場所とりをお願いします♪
(始発じゃ間に合わないかも)

 

会津若松城に行きました 投稿者:石田 山城守 投稿日:2002/01/23(Wed) 21:52 No.907

よ〜ぜんさん、おひさしぶりのカキコになってしまって
すいません。仕事が忙しかったもので…。
突然本題に入ってしまうのですが、私は元旦に父と母と3人で
元旦の早朝に家をでて福島県の会津に温泉に入りに行きました。
私自身あまり温泉は好きではないのでこの旅行に行こうか
どうしようか迷ったのですが、よく聞いてみると次の日(1/2)は
鶴ヶ城に行くと言うのでそれを目当てに福島県に行く事にしました
次の日さっそく鶴ヶ城につき(見学時間は1時間)
城の中に入ってみると百虎隊の物の多さにびっくりしました!
さぞかし上杉ゆかりの物が見れると思っていたのですが…、
結局鶴ヶ城の中に上杉家ゆかりの物で飾られていたのは、
上杉景勝の書状1枚だけでした。
それだけでも落胆していたのにさらにおいうちをかけるように
お土産ですら上杉ゆかりの物は何一つありませんでした。
前日に兄(治部)にお土産は「上杉ゆかりの物にして」
と言われていたので私は本当に困ってしまいした。
わざわざ元旦の早朝に出発してまで行った旅行は、
私にとってつまらない物となってしまいました…。 
上杉の魂に触れるのは、いつか米沢に行った時になりそうです。
その際はいろいろ教えて下さいね。

  Re: お待ちしていました よーぜん - 2002/01/24(Thu) 09:17 No.910

石田山城守さん
お兄様から予告が入っていましたので、今か今かとお待ちしておりました!
鶴ヶ城、う〜ん、そうですか、山城守さんにとってはちょっと期待はずれでしたか。
会津と言えば、葦名、蒲生、上杉、加藤といろいろな人が治めてきましたが、やはり保科正之を祖とする会津藩ですからね。上杉も米沢に移る時に、ゆかりのものは全部持って行っちゃったでしょうし。
私も昨夏、米沢行ったときにちょうど通り道だったので鶴ヶ城によりました。
私としては、松平容保が生涯肌身はなさず持っていたという孝明天皇の御宸翰&御製(レプリカでしたが)、殿の心に触れた気がして胸を打たれました。
あのときは時間がなくて鶴ヶ城以外は行かれなかったのですが、容保公の廟所、土津神社、近藤勇の墓・・・と、見たいところは盛りだくさんです(なんか、お墓ばかりですが。)
会津→米沢というコース、定着させたい。次はいつになるかわかりませんが・・・

  私も。 石田 治部 - 2002/01/24(Thu) 18:37 No.913

容保公は私もすきなのでいってみたい、山城はあまり
幕末はすきでないようです。

  Re: 会津若松城に行きました よーぜん - 2002/01/24(Thu) 21:09 No.914

>山城はあまり幕末はすきでないようです。

ほほう。実はここ、隠れ幕末サイトって知ってました?←いや、単なる管理人の趣味なので、おしつけはしませんよ(笑)。

 

再度:拝読しました 投稿者:雲の絶間 投稿日:2002/01/23(Wed) 22:24 No.909

堪能させていただきました。
人物の視線の動きを感じました。最高でございます。

  Re: 再度:拝読しました よーぜん - 2002/01/24(Thu) 09:18 No.911

絶間さん
おそれいります。ありがとうございました。

 

ビデオ「関ケ原」 投稿者:よーぜん 投稿日:2002/01/25(Fri) 18:55 No.915

きのう、さわりの部分1時間ほど、見ました。
俳優さんが若い!!
加藤剛の石田三成、生真面目なところを上手く出していました。
不正は許さじ、とする三成を見ていてふと思い出したのが大昔の大河ドラマ「風と雲と虹と」。平将門を加藤剛が演じていて、三成の生真面目さに将門がかぶって見えました(笑)。
「殿はしばしば正しすぎる」という島左近の台詞が印象的でした。

  Re: ビデオ「関ケ原」 雲の絶間 - 2002/01/26(Sat) 23:36 No.917

でも、キャストがいいでしょう。
って、私は最後までいまだに辿り着いていないんですが。
結局、高橋幸治さんしか目に入ってません。
なのに、白絹で目しか拝見できない。

  高橋幸治さん・・・。 麹屋芝洞 - 2002/01/27(Sun) 11:32 No.918

発熱して臥せっておりますが、つれづれに・・・。

高橋さんは役柄上、目もつぶったままでいらっしゃいますよね。
でも、さすがに存在感がありますよね。
大谷隊の奮戦ぶりはもう少し詳しく描写があっても良かったかな
と思います・・・。

家康は「関ヶ原」「城塞」を読むとどうしようもない狸ですので
「覇王の家」の前半など読んで「おまえ結構気の毒だな。」と
同情の気持ちを持つのも一興かと・・・。
ま、いずれにしろ司馬さんは家康は突き放して描いている面が
ありますね。

  Re: 徳川家康 雲の絶間 - 2002/01/27(Sun) 13:59 No.919

山岡壮八氏の「徳川家康」にしても家康ってふてぶてしいですね。
同情する背景はあるんですが。
淀君のトラウマを利用しているあたりが、どうしても許せない。

麹屋さん、お風邪ですか?パソコンは発熱に悪いです。
読書もだめですよ。ビデオはもってのほかです・・・自分はよくそれではまって風邪が長引きます。

 

新掲示板設置しました 投稿者:よーぜん 投稿日:2002/01/26(Sat) 16:43 No.916

オーディオ関係専用の掲示板を設置しました。
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