「談合ROOM Ver.2」過去ログ-1

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久々に 投稿者:トラマ 投稿日:2001/10/29(Mon) 10:26 No.544 

『謀将 直江兼続』を読みました
けっこうはまってしまいまして今朝四時に起きないといけないのに
夜中の一時までよみふけってしまった(汗)
関ヶ原以降の上杉の様子などを書いた小説がほとんどないだけに
貴重な感じがします
南原さんには次は関ヶ原以降の伊達政宗あたりを書いてほしいですね
本多政重についての描写も面白かったですね

  Re: 久々に よーぜん - 2001/10/30(Tue) 10:28 No.548

トラマさん、こんにちわ。
『謀将 直江兼続』私も以前、読みました。

>関ヶ原以降の上杉の様子などを書いた小説がほとんどないだけに
>貴重な感じがします

そうですね。たいてい関ケ原で負けて、米沢へ移されて、ってとこで終わっちゃいますね。
本多政重=マニアっていうのが笑えました。(↓の書きこみ)
政重の存在を知ったのがこの本だったので、結構思い入れがあるんです。
南原さんに伊達正宗---どんな「謀将」を書いてくれるか楽しみなところありますね。(「謀将 大谷吉継」っていうのもありませんでした?)

  Re: ちゃいまっせ 雲の絶間@吉継ファン - 2001/10/30(Tue) 22:24 No.556 

「名将 大谷刑部」です。

  Re: これは失礼 よーぜん - 2001/10/31(Wed) 08:54 No.559

絶間さん、

>ちゃいまっせ

これはどうもご無礼仕りました

 

上杉家の災難 投稿者:タヌキ 投稿日:2001/10/30(Tue) 10:52 No.549

GHQが刀狩りをした時、持ち去られた物がたくさんあります。
よーく、考えてみますと、あちこちに土産にもって帰ったらしいです。あちこちに、未だに基地があって日本をこきつかおうとしておりますな。上杉家だけでも持ち去られたのは重文クラスが多いです。上杉の影勝公は相続した中から35振りを選び出し、愛でられたとか、私右よりですので(武道をかじるとかかる病?)です。だから、ODAでお金やるくらいなら、足長育英会に寄付して欲しいです。どうも、夜出るタヌキが昼出るとこういうことを言ってしまいます。すみませんでした。タヌキでした。

  Re: 上杉家の災難 法城寺@天神通り - 2001/10/30(Tue) 11:28 No.550

延文四年紀の兼光は本当に戻ってきてよかった。上杉謙信公以来の重宝、重要文化財に指定され今は国の管理財物。東京国立博物館で運がよければ観れます。

  Re: 上杉家の災難 法城寺@天神通り - 2001/10/30(Tue) 12:36 No.551

上杉家伝来の刀剣に関する話はここで見れます、現在執筆中でまだまだ追加します。

http://www.shrim.or.jp/~changms/

ここに私の刀剣談義コーナーがあります、by究極のパラサイター!

  Re: 伊達家の場合は? 雲の絶間 - 2001/10/30(Tue) 12:51 No.553

仙台の宮城県立博物館でしたっけ?
ずらりと伊達家歴代当主の鎧兜が並んでいますが、どうやって戦争中に保管できたのか不思議です。仙台は空襲で壊滅していたはずですが?

 

大来皇女拝読 投稿者:雲の絶間 投稿日:2001/10/30(Tue) 12:48 No.552

だんだん、万葉集サイトにもなってきましたね♪
ますますの充実とご発展をお祈りいたします。
斎宮は、石上神社(いそのかみ・・ってこの字?)にはいませんでしたっけ?
大来皇女の歌はまっすぐに心に入ってくるので好きです。姉弟ともに才気があって、余計に疎まれたのでしょう。
万葉集には、敗者の歌もかなり含まれていますが、祟りを恐れての鎮魂の意味があったのでしょうか?
私はもともとばりばりの左翼でしたが(爆)、万葉集が好きでし・・・ちなみに美智子皇后のお歌も好きです(歌集「ともしび」を近くの図書館に買わせました)。

  Re: 大来皇女拝読 PIKO改め千人の差が縮まらない角長 - 2001/10/30(Tue) 17:41 No.554

絶間さん
>万葉集が好きでし・・・

かぁいい♪

  Re: (^^ゞ   雲の絶間 - 2001/10/30(Tue) 22:22 No.555

「たぬき」になってしまいました。

  Re: チッ※ タノQ - 2001/10/30(Tue) 23:32 No.557

御二人とも…ムッシュ・ムラムラ〜(T_T)

  Re: 大来皇女拝読 タヌキ - 2001/10/31(Wed) 04:34 No.558

万葉集となれば、我が馬鹿奈良大、国文の出番ですぜ。おっと、
万葉集は、好物です。「白金も、黄金も、玉もなにせんに、勝れる宝、子にしかめやも」既婚者で、たぶんお子様もいらっしゃる
よーぜんさまならこの歌の重みを分かってもらえるのではないかと敢えて、この歌を一押しで書きました。(ほんとは、兼好さんの言いたい放題のほうが、わたしゃ気に入っております。)

  Re: 大来皇女拝読 よーぜん - 2001/10/31(Wed) 09:27 No.560

絶間さん、鋭いッス。

>祟りを恐れての鎮魂の意味があったのでしょうか?

これ、しばしばいわれてますね。万葉集全体がそうだとはいえないと思うのですが、ある程度、鎮魂の意味をこめて編んだ部分もあるのではないかと思います。
もともと歌自体、魂鎮めとして読まれていたわけですから。

おっとタヌキさんはそう言えば奈良でしたね。まさに万葉のふるさとではありませんか。
憶良の歌、身にしみますね。
「兼好さんの言いたい放題」私もわりと好きですよ。

 

ありがとうございました 投稿者:法城寺@天神通り 投稿日:2001/10/31(Wed) 15:11 No.561

早速お読みいただき感想まで書き込んでいただきありがとうございました。

  Re: ありがとうございました よーぜん - 2001/11/01(Thu) 12:01 No.569

どういたしまして。大変興味深く拝見いたしました。
こちらで宣伝してもいいのですが、おなじみの面々ですので、安芸中納言さんのサイトで宣伝しておきました♪

 

あえて兼続ネタ 投稿者:トラマ 投稿日:2001/10/31(Wed) 17:55 No.562

最近大和時代ネタが流行っているみたいだけど
あえて兼続ネタで勝負ということで(^^;
よく言われていることですが
白河の陣で上杉軍が追撃していたらどうなったんだろうか
景勝が謙信にならって追撃しなかったって言う話って
どうみても結果がわかってから作ったような話だろうし・・・
謙信にならったって
確か謙信は手取川で織田軍を追撃しとるではないか!
うーむ、どういう状況だったら景勝は追撃の決断するであろうか
ちょっと考えて見ません?

  Re: あえて兼続ネタ 宇佐美駿河守定満 - 2001/10/31(Wed) 21:50 No.563

景勝・兼続の作戦は家康軍を革籠原に誘いこんで奇襲をかけて殲滅するという“待ち”の作戦でした。家康軍は予想に反して軍勢を西へ返してしまったのでここで追撃をかけると言う事は、北に伊達・最上連合軍を抱えている上杉軍としては余裕が無かったのではないでしょうか?その辺りを景勝・兼続は察知して追撃をしなかったのではないかと思われます。
 因みに上杉軍は追撃をしなかったというのは“夜に追撃”すると手痛い反撃を食らうからと言う事で、追撃戦そのものを否定しているわけではありません。
 手取川の場合、織田軍は七尾城を既に攻め落とされていて上杉軍と戦闘するにも士気が上がらず、撤退を開始していたところにあえて“夜に追撃”を決行した上杉軍が襲いかかった結果の勝利でした。
 景勝の場合は、北に伊達・最上の脅威が無かったらあるいは追撃していたのかもしれません。

  Re: あえて兼続ネタ よーぜん - 2001/11/01(Thu) 09:49 No.566

トラマさん、「あえて兼続ネタ」、畏れ入ります。そして宇佐美駿河守定満さん、ご無沙汰しておりますのにすばやいレス、ありがとうございます。

なぜ景勝は家康を追撃しなかったかと云う問題は、私にとっても大きな問題で、明確な回答を持っていないのですが…
家康が上杉の押さえにおいた結城秀康が、上杉が攻めてくる気配がないので、いきり立って挑戦を申しこんだが、景勝に軽くあしらわれてしまった、ということがありました。其の時景勝は「われ公(注:秀康)の父内府の返るを待って決戦なさんのみ」と答えたといいます。この言葉を見る限り、景勝が戦いたかったのは、家康だったが、その相手が背を向けてしまったので、それ以上の戦いに意味が見出されず、やめてしまった、景勝の潔癖さが伺えはするのですが、宇佐美さんおっしゃるように、家康軍を誘いこんでという当初の作戦が失敗してしまったことも、この景勝の言葉の裏には隠れているようにも思います。
家康の側でも上杉の追撃をものすごく恐れていたようで、あのとき追撃していたら、家康とてたたけたかもしれない、と思うのは、歴史の行方を知っているから言えるのであって、当時の状況、最上・伊達の脅威などを考えれば、景勝のとった行動もやむをえなかったのかもしれません。
ちょっと疑問なんですが、なぜ、伊達ではなく、最上を攻めたのでしょう。(反対に疑問を投げかけてしまいました。すみません。)

  Re: あえて兼続ネタ トラマ - 2001/11/01(Thu) 16:10 No.574

宇佐美さん、よーぜんさん、どうもです
確かに背後の伊達、最上の動きが気になった
というのが正論であったと思います
それと注意したいのが
上杉家は会津に移ってまだ時間がなかったので
領内の把握というのがまだ万全でなかったはず、ということ
現に白石城陥落には地元の土民などもかんでますし
そんなところへ両家に本格的に攻められたら・・・
ということを考えると家康追撃は難しいでしょうね
謙信の手取川の追撃とは状況が異なるわけです

最上家攻撃については
酒田城を秋田家が攻撃した際に最上家も援軍を送ったことが
直接の契機となったようです

  Re: 小説的な想像 トラマ - 2001/11/01(Thu) 16:15 No.575

革籠原まで徳川連合軍がどこまで近づいていたか
わかりませんが
あと一日三成挙兵の知らせが届くのが遅れていたら
かなりの至近距離となっていたでしょうね
兼続が軒猿あたりにわざと発砲させるようなことをやったりしたら
合戦になったでしょうね

  Re: 横レス 法城寺@天神通り - 2001/11/01(Thu) 17:22 No.576

加えるに佐竹軍という心を許せぬ者もいたような・・・。
(ふ〜危ない危ない、「4218」だった。

  Re: あえて兼続ネタ よーぜん - 2001/11/01(Thu) 17:33 No.577

>兼続が軒猿あたりにわざと発砲させるようなことをやったりしたら
>合戦になったでしょうね

そしたらもっと面白い展開になっていたかも…

  Re: いや佐竹は トラマ - 2001/11/02(Fri) 08:35 No.578

事実上同盟関係にあったから
むしろ事が起これば上杉軍に荷担
最悪好意的な中立だったでしょう
元佐竹家臣の車丹波は上杉との連絡将校だっただろうし
家康が撤退したあとも両家で連絡はとりあっていたようですし

  Re: あえて兼続ネタ 法城寺@天神通り - 2001/11/02(Fri) 09:37 No.579

典厩割国宗という名刀に絡んで、上杉家と佐竹家に、意地と面目をかけた確執が実は謙信公以来からありますもので、邪推かとは思いましたが書き込みさせていただきました。
よかったら、史料をもとにしたこれに関する話をまとめてありますので、こちらをご覧下さい。感想などいただければ幸いです。

「謙信の館」

http://www.sh.rim.or.jp/~changs/

コンテンツは法城寺刀剣談義、その中の「典厩割国宗」です。

  Re: あえて兼続ネタ 法城寺@天神通り - 2001/11/02(Fri) 09:40 No.580

http://www.sh.rim.or.jp/~changms/

です。上まちがってました、すみません。

 

全集VS大系 投稿者:タヌキ 投稿日:2001/11/01(Thu) 01:27 No.564

正直言いまして、わたしゃ「古典文学全集」派です。52冊いまだに、しっかり持っております。よーぜん様は「古典文学大系」派とお見受けいたしましたが、どちらで御座いましょうか?

  Re: 全集VS大系 よーぜん - 2001/11/01(Thu) 09:08 No.565

「全集」52冊お持ちなんですか!!全巻、でしょうか。凄いです。それだけで書棚がひとつ埋まっちゃいそうですね。
タヌキさん、するどいご指摘です。ご想像通り、どちらかと言うと「大系」本を手にすることが多いでしょうか。大学の頃からテキストにすることが多かったので。でも、解説が不親切だったりするんですよね。「全集」の方が読みやすいですね。
大系も、数冊持っていますが、普段使うのは岩波や角川の文庫です。場所とりますから…(笑)。

  Re: 全集VS大系 タヌキ - 2001/11/01(Thu) 11:00 No.567

よーぜんさま。「全集」は現代語訳が付いてるので、ちょうほうしましたです。御察しのとうり、全巻ありますが、親に「畳が沈んだ。」と難癖をつけられてます。「日本書紀」の様に「大系」しか
無い本もありますので、「大系」も何冊かはあります。全冊、カビよけ処理して、ラックに収まっております。しかし、毎年この全冊
虫干しするのは、大仕事です。タヌキでした。

  Re: 全集VS大系 雲の絶間 - 2001/11/01(Thu) 13:24 No.573

タヌキさま>
す、すごい・・。52巻全巻ですか?
アパートからアパートへと引っ越したていた我が家では無理ですね。
古典文学大系は沈んだ朱に黒が帯のようにはいった背表紙に金文字だった記憶がありますが、全集ってどんなつくりですか?

現代語訳がついていると読むのに邪魔だったりするので(もちろん重宝のときもあるのですが)、私は大系ばかり図書館から借りていました。
ややクリーム色の紙の色も好きですし←リュリエールにこだわりあり!

これで記憶違いで、「それは全集の装丁です」って言われたりして・・・可能性大。

  Re: 大系本の装丁 よーぜん - 2001/11/02(Fri) 10:55 No.581

>古典文学大系は沈んだ朱に黒が帯のようにはいった背表紙に金文字

「沈んだ朱」でしたね。たしか。でも、金文字だったかどうか…なんせ、私の持ってるのは、古書店で購入したものばかりなので、いいかげん色あせていたので…

  Re: 全集VS大系 タヌキ - 2001/11/04(Sun) 05:13 No.593

こんにちわ。今手元に全集の本があります。入ってる箱は「クリーム色」本体はビニールの透明のがかかってて、表紙は赤と言うか朱色と言うか?とにかく、赤系統ですが、肝心のタイトルが書いてある面には、黒の下地に金文字で「古事記・上代歌謡」とあります。その下の方に金色でボタン?か芍薬の花が記されてます。全体に落ち着いた、沈んだ赤ですが、それなりに派手ですね。こんな時間にこんな事をかきこしておる、わいはなにもんじゃ?

 

久しぶりに来てみたら 投稿者:与四郎 投稿日:2001/11/01(Thu) 11:41 No.568

カウンター、4200でした。うわーん、4と2は縁起が悪い。
背景が秋してますね、もみじ。(もみじまんじゅう一箱食べたの思い出すなー。)冬になったらどんなふうになるのか、楽しみです。

  Re: 久しぶりに来てみたら よーぜん - 2001/11/01(Thu) 12:05 No.570

与四郎さん、お久しぶり〜(ここでは)。
私が来たとき4200こえてたので、どなたが、と思いましたが、与四郎さんが踏んでたのですね。
ところでHN、やっぱり漢字表記に復活ですか。

  Re: 久しぶりに来てみたら よーぜん - 2001/11/01(Thu) 12:17 No.571

厄払いのために、「かうんたー記録」の方に、お名前を掲載させていただきました。

  Re: 久しぶりに来てみたら 法城寺@天神通り - 2001/11/01(Thu) 12:38 No.572

自動車のナンバーで嫌われるのが「4219」すなわち「死に行く」です。誰が踏むかなあ♪
それでは「4126」は?「良い風呂」でーす。伊東に行くなら「はとや」♪

  Re: 久しぶりに来てみたら タノQ@阪奈通り、風邪 - 2001/11/02(Fri) 21:46 No.586

>伊東に行くなら「はとや」♪
はッとォ〜やァに♪キ・メ・た!

  Re: 久しぶりに来てみたら PIKO改め千人の差が縮まらない角長 - 2001/11/02(Fri) 22:41 No.587

今そのCMやってます?まだ・・・・。

 

長くなるので場所を改め@兼続ネタつづき 投稿者:よーぜん 投稿日:2001/11/02(Fri) 12:52 No.582

レスが長くなってきたので、場所を改めて書きたいと思います。

法城寺さん>
「典厩割国宗」の話、読みました。上杉と佐竹の確執、興味深く読ませていただきました。景勝が「典厩割国宗は上杉にある」と激怒して、同じ由来の刀が上杉にも伝わっているというのはなんだか子供のけんかみたいですね。武士の面目ということではやむを得ないことなのでしょうが。
少なくとも関ケ原の時点までは、上杉と佐竹は友好的だったようですが。
天正10年、信長の軍によって魚津城が陥落しますが、この援軍に向かう前に、景勝は佐竹義重に書状を送って、今回の出陣の覚悟の程を知らせています。あの事件は景勝にとって辛酸を嘗めた事件でした。そういう折に何ゆえ佐竹宛てかということは置いといて、少なくとも窮地に立たされた自己の心境を書き送ったということは、相応の相手でないとできないのではないでしょうか。
関ケ原のとき佐竹は表立ってどちらにつくかは明確にはしていなかったようで、家康自身、佐竹は味方と思っていた節もあったようです。兼続と連絡を取り合っていたといいますから、戦になれば上杉についていたのではないでしょうか。

トラマさん、そのほか>
家康の会津撤退を知った最上は、家康に従って叩くはずだった上杉に和親を求めてきたそうですから、「強いものにつく」という時代風潮は廃れていませんね。だから、もし、景勝が兼続の進言をいれて家康追撃に向かっていたら、ふたたび戦乱の世に戻っていたかもしれません。家康が天下を取るかどうかは関ケ原前夜の時点で不明であったにせよ、家康の天下人としての器は多くの人の認めるところだったのかもしれません。もしその予感を景勝が感じていたとしたら…、なんて、景勝、かっこ良すぎですよね(^^;

  Re: 追記 よーぜん - 2001/11/02(Fri) 12:56 No.583

トラマさん>
最上征伐の件、お答えいただきありがとうございました。
とりあえず、当面のにくいやつを叩いておこう、ということだったのでしょうか。なんだか釈然としなくて…

  Re: 長くなるので場所を改め@兼続ネタつづき トラマ - 2001/11/02(Fri) 13:57 No.584

>とりあえず、当面のにくいやつを叩いておこう、ということだったのでしょうか

うーん・・・というか最上をたたくことは
いっぱい出回っている関ヶ原本で書かれているように
既成の方針だったのではないでしょうか
そのための名目ができたということだと思います
別に上杉が卑怯を嫌って白河から撤退したわけではない
ということを暗に示しているのではないでしょうか

>家康の天下人としての器は多くの人の認めるところ・・・

どうでしょう。
確かに太閤秀吉に直接合戦で勝った男ということで
確かに武威という面で天下人に近い位置にあったのは
間違いないですが、仮に一度でも敗戦すれば
雪崩現象が起きてもおかしくない状況ではなかったかと
思ったりもしているんですが(笑)

  Re: 佐竹ネタ 法城寺 - 2001/11/02(Fri) 20:00 No.585

見たわけではないので、どちらが正しいとかいえませんね。しかも、家が違えば確かに言い伝えもちがうでしょうし。
これがある意味「戦国」の習いかもしれませんねえ。
唯一つ、「典厩割」に関しては上杉・佐竹両氏になんらかの騒動があったことには間違いが無いようです。
これが跡を引いたとは限りません。関ヶ原のときにここまでわだかまりがあったか?このあたりも誰にも正解をだせないこそ、歴史の面白さがあるのかもしれません。それを無理やり決着つけようとして、失敗した例が最近話題の捏造ですかね。
ともかく、歴史好きの私です、親レス・子レスの方々今後ともよろしくお願いしますね。

  Re: すみませんです 法城寺 - 2001/11/03(Sat) 07:40 No.589

呑みながら書き込みしたら、なんか支離滅裂だったようで・・・。へんなレスで申し訳ございませんです。

  Re: 長くなるので場所を改め@兼続ネタつづき よーぜん - 2001/11/03(Sat) 10:23 No.590

トラマさん>
いろいろご教示ありがとうございます。
まだまだ勉強不足なのを実感致しました。
この件に関しては、興味深いところなので、今後も何かありましたらぜひ、お考えなどを聞かせてください。

法城寺さん>
支離滅裂…そんなことないですよ。
「典厩割」に関する上杉と佐竹の確執…。典厩割を介して何かを象徴しているのかも知れませんね。今後の課題にしたいと思います。(と言って、課題にしたものがおおすぎるなあ)

 

お初にお目通り願いまする。 投稿者:柿崎和泉守景家 投稿日:2001/11/03(Sat) 01:13 No.588

お初に御目通り叶いまして、和泉守、恐悦至極に存じまする。
お誘い頂きまして誠にありがとう御座いまする。
いやいや〜〜、いいで御座るなこの家頁の感じ。
涼しげな風の中にも凛とした清々しさを感じまする。家主の人柄に御座りましょうな、以後宜しゅうお願い致しまする。
時によーぜん様は音楽がお好きとみえる。それがし半職業雅楽師(半ミュージシャン)で御座れば、いろいろ雅楽の話もしとう御座いまする。
重ねてよしなにお願い致しまする。

  Re: お初にお目通り願いまする。 よーぜん - 2001/11/03(Sat) 10:25 No.591

柿崎さまようこそ。
柿崎さまは雅楽師でいらしたのですか。なんと雅な…。
こちらこそ、よろしくお願い致します。

  Re: お初にお目通り願いまする。 柿崎和泉守景家 - 2001/11/03(Sat) 18:36 No.592

お出迎え誠にありがとう御座いまする。
それがしの雅楽はロックに御座る。次回皆様のお耳にかかるのは、おそらく福岡ダイエーホークスの応援歌に御座いましょう。
これからも宜しゅうお願い致しまする。

  Re: お初にお目通り願いまする。 タノQ@病上がり - 2001/11/04(Sun) 10:36 No.595

妃様、柿崎公の雅楽は重金属岩石と上杉軍団主頁頭様より聞及んで居ります(凄ェ!)

柿崎公、私の絶間姫が「遠くから憧れ安全圏から焦れ度い」タイプ為れば、よーぜん妃は正しく「御傍で直答を許して戴き甘えッ子も仕り度い」タイプと存念致し居るタノQです

に、逃げろォ〜!

  Re: お初にお目通り願いまする。 よーぜん - 2001/11/04(Sun) 10:45 No.596

柿崎さま>
柿崎様の雅楽はロックにございましたか。「重金属岩石」---な、成るほど。私もかつては「重金属岩石」大好き少女(?)でございました。
今はちょっと疲れるかなあ、というのありますが、たまに聞くのはいいですね。

タノさん>
>甘えッ子も仕り度い
甘えさせておいて、面倒になるとほったらかしにしてどっかに消えうせるタイプ・・・

  Re: お初にお目通り願いまする。 雲の絶間@吉継ファン - 2001/11/04(Sun) 11:15 No.598

柿崎和泉守景家さま>
 須保さまのところでもお目にはかかっているのですが、どちらの掲示板が先だったやら・・・ご挨拶遅れまして申し訳ございません。

タノ氏>
私の絶間姫が「遠くから憧れ安全圏から焦れ度い」タイプ

「安全圏」とはなんぞ?

  Re: お初にお目通り願いまする。 柿崎和泉守景家 - 2001/11/06(Tue) 00:41 No.611

タノQ@病上がり様>
なるほどよう分かりまして御座る(ほんまかいな)
御両人様とも、美貌と才覚を兼ね備えておられると言う事に御座りまするな〜。

よーぜん様>
いかにもそれがし、重金属、硬い岩石そして岩に御座る(笑)
ホークスの歌は重金属ですな。
ただ最近はもっと他のもやりまするぞ。
まだリリース前で公表出来ぬものもありまするが、時が来たらば影虎様の家頁で流して頂くので、聞いてみて下され。

雲の絶間@吉継ファン様>
いえいえ、こちらこそ宜しゅうお願い致しまする(本当はレスつけて頂けなかったから「こりゃ〜シカトされとるわい」と思っていた(笑)
雲の絶間様はなにやら炎のカリスマという感じで御座りまするな〜。
重ねて何卒宜しゅうお願い致しまする。

  Re: お初にお目通り願いまする。 PIKO改め須保孫右衛門角長 - 2001/11/07(Wed) 00:10 No.615

今日も今日とてCD屋で応援歌コーナーを探しましたが、どーもダイエー系のCDが見当たらんのですなあ、これが。
まだまだ柿崎殿のCD探しまくりの旅は続く・・・。

 

昨日は 投稿者:よーぜん 投稿日:2001/11/04(Sun) 10:55 No.597

那谷寺というお寺に行ってきました。
開基が1300年くらい前の古刹で、山の中に開かれた大きなお寺です。
3代藩主の利常さんが再興したお寺ということで、利常さんの使った書院なども残されています。
あいにく雨で、足元が悪かったのですが、しっとりとした空気がなんとも気持ちよかったです。森林浴というのがありますが、普通の森林浴とは違って、寺域であるゆえの清浄さ、張り詰めた空気というものが身体中に吸い込まれていくようで、心が表れたような気分でした。
又左のページに画像などをUPしましたので、ご覧ください。
http://users.goo.ne.jp/mataza-k/
「石川版散歩」のページです。

  Re: 昨日は PIKO改め須保孫右衛門角長 - 2001/11/04(Sun) 22:45 No.600

今(11:50頃)見てきましたが、いやあ重い重い・・。
どなたか同時に見ていらしたのでは?
ところで写真の方、結構画像が見れないものが多かったんですけど、もしかして例の「自分ちのPCを指定」やっちゃってます?

  Re: やはり重いですね よーぜん - 2001/11/05(Mon) 12:11 No.603

須保さん、ご覧いただきありがとうございます。
やはり重いですね。画像多すぎです。(笑)

>結構画像が見れないものが多かったんですけど

確認して見ましたが、「自分ちのPC指定」にはなっていなかったです。
「×」とか入ってます?

  Re: 昨日は PIKO改め須保孫右衛門角長 - 2001/11/05(Mon) 14:37 No.605

×印入ってます。

画像が重いというか、私が見た時は又左殿のトップ頁を開くのすら4〜5分かかりましたので、ありゃあ、絶対誰か一緒に見てました(こだわる)。

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