其の壱  本能寺の変と魚津城陥落


天正10年(1582)、上洛した織田信長は宿所にしていた本能寺にて家臣明智光秀によって討たれた。天下統一を目前にしてのあえない最期であった。

本能寺の変というと、信長の死と共に頭に浮かぶのは、魚津城の事件である。
「事件」と呼ぶにはあまりにも壮烈で悲痛極まりない城将たちの最期---


信長の北陸方面経略は、謙信存命中に始まる。謙信の死後、越後の内乱に乗じて信長はしばしば攻撃をかけてきた。
信長は越前に柴田勝家、能登に前田利家、越中に佐々成政という麾下の精鋭を配し、対上杉の押えとした。


松倉城と魚津城(ともに富山県魚津市)は、織田方と接した上杉方の最前線基地であった。

天正10年、武田氏を滅ぼした信長は、勢いに乗じ上杉打倒の兵を松倉城、魚津城に差し向けた。送り込まれたのは、柴田、前田、佐々ら、織田軍団の歴戦の精鋭であった。

当時、景勝の領国越後では、新発田重家が叛乱を起こし、予断を許さない状況にあった。景勝は、能登の諸将および上条政繁、斉藤朝信らを魚津城に派遣した。

城を囲まれること40余日、景勝は自ら魚津城守将たちへ書状をしたため、彼らを慰労、激励している。
守将たちも、景勝の窮状は理解している。だが、40余日に及ぶ戦闘によって、彼らの疲労は極限に達していた。
彼らは4月23日、連署して、悲壮な決意を綴り、兼続宛てに書状を送っている。
そこには援軍を要請するというようなことは一言も記されていなかった。40日に及ぶ昼夜を分かたぬ戦闘、力を尽くして戦ったが、力も尽き果てた。
「この上の儀は各々滅亡と存定候」---と、決死の覚悟を綴って寄越した。
景勝は、兼続は、いかなる思いでこの書状を披見したであろうか、その心情は想像を絶する。


景勝は、後方の能登方面からの攪乱を狙って兵をおこさせたりもしているが、前田利家の兄で、利家から後方支援を託された前田安勝や、長連竜らによって、あえなく撃退されてしまった。

守将からの書状が送られてきた頃、景勝は信濃方面の防戦を指揮していた。しかし、この窮状を捨ておくわけにいかないとして、5月15日、魚津城に近い天神山に着陣した。
だが、上杉本隊の着陣を知った織田軍は、出撃してこなかった。景勝は肩すかしを食らった形で虚しく時だけが過ぎていった。

このころの城内の状況を、利家が兄安勝に宛てた書状から知ることができる。
城を出た者の申すに、兵糧並びに鉄砲の弾薬はなく、城内も「無正体」状態だという。まもなく城は落ちるであろう、という内容のものである。ただしこれは松倉城の状況であるが、魚津城とて似た様なものだったであろう。食糧も武器・弾薬もなく、城から離脱していった兵もいたのであろう。


23日になると、信長の命を受けた滝川一益が、上野方面から越後に進攻してきた。
上杉方は、三国峠で辛くもこれを撃退した。


信長の脅威はこれだけにとどまらなかった。
海津城城主森長可が兵5000を引き連れて、二本木まで進攻してきたのである。信濃口を守っていた上条宜順の兵は700余。上杉の本城春日山城まで、目と鼻の先である。
この急報に景勝は撤退を余儀なくされた。
27日、越中を棄てる覚悟で景勝は軍を返した。
このとき、魚津城守将たちには、敵軍に城を明け渡し、越後へ引き取るように、それは少しも「武道の越度にあるべからず」との書状を送ったという。


味方の援軍も得られず、城内の武器、食糧はことごとく尽き、魚津城守将たちは孤立無援、四面楚歌の状況に陥った。

上杉本隊の退却を知った織田軍は猛攻を仕掛け、6月3日、ついに最期の時を迎えた。
城将たちは、敵にくだることを潔しとせず、耳の孔に穴をあけ、そこに名札をつけて、ある者は腹を切り、ある者は互いに刺し違えてことごとく討死して果てた。


魚津城落城の翌日、信長の訃報が織田方にもたらされる。主君の死という急報に、柴田らは急ぎ軍を返した。
織田軍が去ったことで、魚津城はふたたび上杉のもとに帰するが、討ち果てた将たちは戻りはしない。
奪回した城に、景勝や兼続が立たったかどうかわからない。だが、彼らはかけがえのないものを失ってしまったのだ。
信長が死ぬ運命にあったのなら、なぜもっと早く死ななかったのか、城将たちがあと1、2日持ちこたえてくれていたら---今更何を言っても詮ないことであるのは痛いほどわかっている。悔やんでも悔やみきれない鬱々としたものを抱えて立ちつくしたことだろう。
上杉家の家督を継いで4年。景勝にとって最初の試練であった。主君のそばにいて、「直江」の家名を継いだばかりの兼続にとっても。


その8年後、天正18年(1590)、景勝・兼続主従は小田原征伐に際して、この時の敵将の一人、前田利家と、共に手を携えて戦うことになる。
戦乱の世のならいとはいえ、かつて嘗めた辛酸と、今度は味方として共に戦うことになったかつての敵将---縁(えにし)の不思議さを思わずにはいられない。景勝主従は、そのことを誰よりも強く感じていたのではないだろうか。

2001.7

 

 

 

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