【資料】 「秘笈叢書十九」 前田慶次殿伝


       遺書
                          秋下同
利卓公御息女於華様戸田弥五左衛門尉方邦江契約成タマヘルハ、

慶長五年尾州宮海之渉り船中ニテノ御事ナリ、今茲(こんじ)関ヶ原

御合戦ノ時、軍散而利長卿尾州宮海ヲ渡ラセ、勢州桑名江越サセタ

マヘリ、此時戸田方邦ハ殿ナル故御陣ノ御船ニハ一里程隔テヲソク

漕セリ、利卓公、此陣中ニ主従七人紛レ止リ、多年之望ヲ全ク今日ニ

トゲント伺ヘタマフニ、思不成定而、同ク宮海ニ臨ミタマヘリ、船ヲ

需(もとめ)タマフニ皆沖ニ出テ渉ルニ便ナシ、爰ニ鐡蕀之験サシテ

戸田方邦ノ船而巳未タ近シ、ヨツテ船ヲ岸ニヨセヨト声々呼ハシリ、

方邦敵味方ヲ辨(わきま)ヘサレハ、鑓ヲ提、舟バタニ立テ甚怒レリ、

利卓公謂有テシルシヲ隠セリト理ヲ説テ卒爾ナル由ヲ述、猶便船ヲ

乞タマヘリ、戸田諾シテ隔タル舟ヲ漕ヨセ、終ニ同船シタマフ、利卓公ト

方邦ト寛々対面スル事今日始テナリ、利卓公方邦ガ勇猛勢ナルニ

甚タナツンデ云ク、我望アリトイエ共今日ニ極(き)メサレハ最早望ニ

年ナシ、念爰ニ去レリ、死以トモ不悔併吾レニ一ツノ愁アリ、我二女
                          ミニク
ヲ持ツ、一ツハ夫アリ、今妹■カラス、仍吾カ愛子ト云ンカ、彼未タ夫ヲ

定ス、吾望ツキテ死ヲ定メントスルニ只彼ヲ愁へリ、方邦倘(もし)無

婦人ハ、彼ヲ定メタマハルヘシ、利長ニモ難面弃(すて)タマヘル程ニモ

アルマシ、方邦吾言ニ諾シタマハゝ、我悦不遇山野ニ身ヲ蟄シ自落命ヲ

待テ利長ノ心ヲモヤスンゼン、利長ノ我ニ知通ヲ添タル意モ疾クシレハ

ナリト深ク哭シテノタマヘり、戸田方邦其品ヲ承知シテ、野夫未宿ノ妻ナシ、

御心易ク思食セト安ク領掌セリ、船桑名ニ至リテ利卓公ハ今ハ心易ト

方邦ニ別レテ直ニ高須ノ道ヲ経テ、大和江越タマヘリ、方邦凱陣之後、

彼息女ヲ迎入ン事ヲ案スト雖モ、利卓ノ女成故ヲ利長卿江申兼テ、時節ヲ

憚リ婚姻ノ沙汰ヲ言ス心外ニ延引セリ、利卓公、方邦カ憚リテ延引スルノ

心ヲ察知リテ、翌年知通ヲ加州江越シ、利長卿江其旨ヲ告タマヘ、猶茨木

刑部ハ方邦ニ縁アル故頼タマヘル由ヲモ仰ツカハサレタリ、利長卿ニモ早ク

御挙容アリ、御妹君ノ御盃アリテ、方邦之方江ツカハサレタリ、

利卓公ハ実ハ瀧川左近将監一益之弟ナリ、利久公養子トシタマフ、

利卓公心タクマシク猛将タリ、謂アツテ浪人トナリタマヘリ、故ニ一ツ之
望アリ  意趣ハ秘爰ニ不語
然レ共世モ末行シ、次第ヲトロウノ理ニヨリテ、秀ノ日ナシ、若ハ利長卿ニモ

背キタマハスハ可然ケレトモ、只望ヲトケント夫ニモ随ヒタマハス、剰戦ヲ

好テ後々ハ景勝ナトノ陣中ニ至リ上杉ト心ヲ友ニシ、望モ後ハ恨ニ変シ、

種々之業ヲ盡シタマヘリ、仍利長卿ヨリ詈度々ナリ、利卓公年歴テ痞病
                                                         ヲゝチヤク
発セリ、時ニ病ヲ保育スト号シ大和ニ越、洛ニ至リ種々ノ犯惑ヲ振舞タマフ、
        アクニ
故世人皆■加州ニ告タリ、利長卿ヨリ詈ツヨキニヨツテ洛ノ居不叶、大和ノ
カリメ
刈布江蟄シタマヘリ、利卓公年歴テ病甚シ、故ニ入道シテミツカラ龍砕軒

不便斎ト号シタマヘリ、不便斎此時ニ至リ浅野、多羅尾、森此三人加州江
                     タマ
戻シタマヘリ、知通ハ利長卿ヨリ添渭ヘル謂アルヘケレハ我カ死後ヲ

見届ヘシト留タマヘテ知通ト終ニ下辺二人ト給仕シテ月日ヲ経タリ、

不便斎病次第ニ盛ニシテ不治、慶長十年十一月九日巳ノ半刻享年七十三

ニテ卒シタマヘリ、則刈布安楽寺ニ葬ル、其林中ニ一廟ヲ築キ、方四尺余

高五尺之石碑ヲ建銘ニ

    龍砕軒不便斎一夢庵主

ト記セリ、俗ノ姓名并落命之年号月日ハ謂アツテ不記、利卓公ノ死スル

所ヲ知ル者ナシト言ンカ、大和国刈布村ト言所ハ同国ノ旧跡当麻寺ノ山ヲ
                              モリ
左リニ西ヘ二リヲ行テ里アリ、茂林ト云、夫ヨリ南江一里アリ、

右ニ遺言スル事ハ利卓公ニ添ラレテ、一生ノ有増ヲシリ、卒シタマヘルノ

儀モ知レリ、他ニ知人ナシ、戸田氏ステニ我カ主トナレリ、正ニ弥五兵衛殿

之外祖タリ、巡忌及旧忌此家ニテカフムラスハアラン、我死テ、ナンチ不知

トイハゝ、知通何ヲ勤タリト言ン、爰ニ久シキ苦心ノ勤ヲ空シクシテ剰他ノ

嘲ヲ需ン、又、利卓公之骸ニモ異笑ヲツケン事甚口惜、仍テ十分一ト言トモ

只其尸(しかばね)ヲ葬シ地、落命之月日ヲ一息一言シテ残ス、旧忌追善之

種ト思フノミ、利家卿、利長卿ニ命ヲ奉リテヨリ右皆秘スヘキ謂アレハ、

汝能(よく)思フヘシ、今ノ遺言、子ノ耳ニ口ヲアテ必伝ヘシ、彼地ニ至ルノ

事アラハ、誤テ乗打スヘカラスト後ヨリ後江秘テ伝ヘシ  以上


                             野崎八郎左衛門知通

   承応元年正月                     七十七才述書
        
  




  慶次郎君一男三女

    某  安太夫 

      城州京都ニ行、諠譁(けんか)して人ヲ傷害ス、其罪難免処

      宰相利長公請之、則能州七尾ニ引取玉フ、於斯終ニ没ス
                邦とも
    女 名 華     方秋妻

    女 名 坂     北条主殿嫁

    女 名 佐野    山本勘解由妻


    


以前田家御蔵本謄写之与原本比較畢

明治三年冬十月朔日  柳園良見誌





青地礼幹撰本藩系譜云

高徳公舎兄蔵人利久、嘗以前田家嫡長、嗣立領尾州荒子邑二千三百貫、

娶滝川氏尾州嶺城主滝川儀大夫某妹、 一説
女也
無子、依之、以義大夫其子

利治為養子也、利治一名利益、自称宗兵衛、後称慶次、冒姓前田氏、

実父義大夫某者滝川左近将監一益之従子也、或曰、一益子未詳、

孰其矣、利治仕、于吾藩祖高徳公賜采地六千石、居能登州松應村、

慶長五年関原之役属上杉氏国老直江兼続、有戦功、軍敗之後、

仕禄上杉氏、於会津遂終其土、妻利久弟五郎兵衛安勝第二女也、

又言、利治一作利太、善連歌、与昌叱等相唱和、嘗辞佐渡守云

三壺記ニ云、前田慶次殿、加州にて娘三人あり、一人ハ北条采女の妻、

一人ハ戸田弥五右衛門の妻なり、今一人ハおさなとのとて、利長卿の

妾ノ方なるを、小田弥右衛門に遣さるなり、戸田弥五左衛門に娘三人

ありて、一人ハ清泰院殿召仕ハれし今井ノ方是なり、

右伝説亦異説といふへし





〔凡例〕
1.原本は『秘笈叢書 十九 前田慶次殿伝』(石川県立図書館所蔵)を用いた。
2.表記は原本を尊重したが変換できない文字もあり、その部分は■として( )付けで読み仮名(ひらがな)を記した。
3.読みにくい文字はその文字のあとに( )をつけ、読み仮名(ひらがな)を記した。
4.適宜読点をつけた。
5.「青地礼幹・・・・」以下の文には、原本には返り点がつけられているが、横書きという性質上、これを省いた。    
                                         
  翻刻者:よーぜん


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