◆御館の乱経緯◆

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天正6(1578) 3月 13日 謙信死去
    24日 謙信の遺言により、景勝実城に移る
      近隣諸氏に上記報じる(3/24 越中小島職鎮、3/26 常陸太田道誉、4/3 会津蘆名盛氏)
  5月 5日 大場(上越市)で衝突
    13日 景虎御館に立てこもる
    16日 春日町の戦い
    29日 武田勝頼、北条氏政の要請で出兵
  6月 7日 勝頼、景勝と和睦
    11日 大場、居浜の戦い
  8月   勝頼の斡旋により、和議成立。破談
  9月 北条氏照・氏邦、景虎救援のため、越後に侵入。樺沢城、坂戸城攻撃
    北条氏照・氏邦、樺沢城に北条(きたじょう)輔広・河田重親を、御館に北条(きたじょう)高広を置き、帰国
  12月 23日 景勝、武田勝頼の妹菊姫と婚約
天正7年 2月 1日 景勝、御館を攻撃
  3月 17日 御館、落城。景虎御館脱出。
      上杉憲政、景虎の長男道満丸を伴い春日山へ赴く途中斬殺
    24日 景虎自害(26歳)
  4〜5月   景虎方の本庄秀綱、与板周辺を攻めるが、景勝方、これを撃退
天正8年 4月   景勝、地蔵堂に着陣。抵抗する蔵王堂、大面、栃尾を攻める
    22日 栃尾城落城。蔵王堂、大面も落ちる
  7月   三条城攻撃、落城
  8月 6日 勝頼、景勝の戦勝を祝う書状を送る
    15日 兼続奉行として佐藤庄左衛門、皆川式部丞に知行状を出す
天正9年 2月   北条城攻略
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