本多政重年譜

西暦 年齢 政重関連事項 歴史事項
天正8 1580 1 政重誕生
天正10 1582 本能寺の変
天正20
(文禄元)
1592 12 倉橋長右衛門の養子となる。長五郎と称す
慶長2 1597 18 岡部荘八を殺害、江戸を離れる
半年後、大谷吉継に仕える
慶長4 1599 20 宇喜多秀家に仕える  2万石  正木左兵衛と称す
慶長5 1600 21 政重は宇喜多秀家の軍にて参戦、西軍敗退 関が原の合戦
前田利長、小早川秀秋に招かれるが両者の招きとも断り、高野山へ入る
安芸・福島正則に仕える 3万石
慶長6 1601 22 【上】上杉景勝、米沢に転封
慶長7 1602 23 安芸を立ち退き、前田利長に仕える  3万石  本多山城と称す 【宇】宇喜多秀家遠流
慶長8 1603 徳川家康征夷大将軍になる
慶長9 1604 25 8月 直江兼続の娘と結婚 直江大和守勝吉と称す 【上】5.5 上杉景勝に男子(定勝)誕生
慶長10 1605 26 政重の妻(お松)死去 【前】6.28 前田利常家督を継ぐ
慶長14 1609 30 本多安房守と称す。大国実頼の娘と結婚
慶長15 1610 31 政次誕生
慶長16 1611
32 米沢を去る。前田利常に仕える
8.12 3万石拝領
慶長18 1613 34 幕府が前田家に対し越中を返上するよう求める。政重の奔走により、越中は前田家の領知と認められる。
このときの功により2万石加増。小松城御預も打診されるが、これは固辞する。
慶長19 1614 35 【前】5.20 前田利長死去
大坂の冬の陣に出陣 大坂冬の陣
慶長20
(元和元)
1615 36 大坂の陣の功により、肩衝茶入拝領 大坂夏の陣
閏6.3 従五位安房守叙爵
下屋敷拝領
元和2 1616 37 4月 家康死去
6.20以後 政重江戸へ赴く 6.7 本多正信死去
元和5 1619 40 二男政久を証人として江戸に差し出す 【上】12.19直江兼続死去
元和8 1622 43 本多正純、出羽国由利郡ヘ転封
元和9 1623 44 【上】3.20上杉景勝死去
寛永3 1626 47 政次の子朝政誕生
寛永4 1627 48 4.20 政次死去 18歳
6.10 妻阿虎(大国実頼の女)死去
西洞院時直の女と結婚(寛永4〜7)
寛永5 1628 49 前田利常より刀一腰拝領
大坂城の普請に携わる
寛永8 1631 52 政長誕生
寛永9 1632 54 政久、本多忠純(政重弟)の跡を継ぐ
11月 政久死去。本多正信の、幕府に対する功により政久の子(当時3歳)に政久の跡を継がせる
寛永10 1633 55 政久の子死去 4歳。本多忠純家断絶
三男政朝、江戸に召し出される。(領知5千石)
寛永16 1639 60 【前】6.20 前田光高家督相続(第4代)
寛永19 1642 63 3月 前田光高、初めて参勤。政重これに供奉
将軍より呉服、道服、馬拝領
寛永20 1643 64 7.17 政重の病気見舞いとして光高より「新渡の壺」を賜る
正保2 1645 66 徳川綱吉髪置の儀
【前】5月 前田光高死去
【前】6.13 前田綱紀家督相続(第5代)
正保3 1646 67 政長、春姫(前田利常の女)と結婚
正保4 1647 68 3.27 家督を政長に継がせ、政重隠居
3月 政重、致仕する。大夢居士と称す
6.3 政重死去 68歳
元禄11 大乗寺へ改葬


【上】 上杉家関連事項
【前】 前田家関連事項
 【宇】宇喜多家関連事項


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