直江状とは・・・?

 

太閤秀吉亡き後、五大老の一人・前田利長を、その母・芳春院を「証人」とすることで屈伏させた徳川家康は、次のターゲットを上杉家に向けた。
慶長五年正月以来、家康は上杉家に何度か上洛を促したが、上杉家ではこれを拒否。家康は兼続の知己・僧承兌をして最後通告ともいえる上洛勧告を兼続あてに書かしめた。

それに対する兼続の返書が、世にいう「直江状」である。
承兌の書状に対する返書であるから、形式の上では承兌に宛てた書状である。だが、この書状が家康を激怒させ、会津征伐の口実を作ったのであった。

「直江状」には原本、すなわち兼続直筆のものは存在しない。『編年文書』(前田育徳会尊経閣文庫架蔵『尊経閣古文書纂−雑纂文書』所収)、『古今消息集』(国立公文書館内閣文庫所蔵)などにその写しが現存するのみである。

用例や敬語の使い方、その内容などから、後世の偽作ではないかとする説もあるが、ここではその真偽は問わないこととする。

ただ、上杉側は何らかの書状を家康(あるいは家康側近の者)宛てにしたためたであろうし、字句の上で多少の異同があるにせよ、当時の上杉側の事情と家康の非を訴えた書状として、その意義は大きい。

 

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