かけら


 建設途上の城下町は槌音が響き渡り、もっこを担いで往来を行く者、切り出した材木を運ぶ者で、ごった返していた。 
 城下の入り口で、緩みかけたわらじの紐を締め直すと、襟を整え、背筋を伸ばし、おようは深呼吸をした。真新しい木の香りと草のにおい、土の香りが鼻腔をくすぐる。



 米沢30万石。石高でいえば、決して少なくはないが、慶長5年(1600)の関ヶ原の役で、反家康の立場をとったがために、上杉家は120万石の会津から4分の1に減封されたのだった。
 大幅な減封である。それにもかかわらず、往来を行く人々の目は輝き、人々は活気にあふれていた。おようは不思議な面持ちですれ違う人々に目をやった。 加賀を発って約半月。ようやく米沢に着いたものの、目指す堂森はどの辺りにあるのだろうか。「森」というくらいだから、木が密生している場所なのだろうが、四方を見渡してみても山に囲まれているので、どの方向に目指す堂森があるのかわからない。
 誰かに聞いてみようと思うが、皆忙しそうに道を行くので、おようの質問に答えてくれそうな人が見つからない。
 途方に暮れて辺りを見回しているとき、一人の婦人がおようを追い越していった。
 木綿の、決して上等とはいえない着物を着ていたが、着こなしがすっきりしていて品があった。
 おようは憑かれたようにその人を追いかけ、声をかけた。
「もし。」
 おようの声に婦人が振り返る。年のころは三十半ば過ぎくらいであろうか、引き締まった口元に、知性が感じられる。
「少々お尋ねします。堂森へはどう行ったらよろしいのでしょう。」
 婦人は一瞬目を丸くしたが、にっこり微笑んで答えた。
「堂森へ行かれるのですか。それは偶然ですこと。私も堂森へ行くところなのです。ご案内いたしましょう。」
 さあ、どうぞと婦人は目で同行を促した。
 おようはお願いします、と丁寧にお辞儀をすると、婦人の後について歩き出した。
「旅のお方のようですけれど、堂森に用があるとは珍しいこと。」
「父が堂森に住んでいると耳にしましたので。」
「えっ!?」
 婦人の足が急に止まった。
「まさか、慶次殿?」
「はい、前田慶次郎は私の父です。」
 婦人は黙り込んだ。
 普請の指揮をしていると思しき侍たちは、すれ違うたびに婦人に丁重に挨拶をしていく。同行の婦人は、米沢(ここ)ではかなりの身分の婦人と見受けられた。そして、父のこともなにやら知っているらしい・・・
 やがて城下の喧騒は聞こえなくなり、大きな川が眼前に横たわっていた。川の向こうは一帯がこんもりとした森であった。
「この川の向こうが堂森ですよ。」
 川にかかった頼りなげな橋を渡ると、眼前に小山が迫っていた。その小山を取り囲むように作られた道をたどっていくと、「無苦庵」と板書きされた小さな庵があった。
 庵の周りは夏草が茂り始めており、一見無造作に茂らせているようであったが、よく見ると手入れがきちんとされているのがわかった。
 門を入った植え込みの前に、一人の僧形の男がかがみこんで植え込みをじっと見詰めている。
「慶次殿。」
 婦人が男に声をかけると、男は振り向き、
「やや、これはお船どの。『慶次殿』はおやめくだされ。前田慶次郎は死に申した。」
 そう言って、白い歯を見せて笑った。
「そうおっしゃいますが、夫の親友のあなた様を『ひょっと斎どの』などと奇妙な名でお呼びするわけには参りません。」
「奇妙ですかね。儂は気に入っているんだが―」
 おどけた風を装って、男は空を仰いで見せた。
「慶次郎殿、新しいお召し物をお持ちいたしましたのよ。それから―」
「これはいつも忝い。それより見てください、お船どの。去年植えた橘が、今朝花をつけました。」
「橘の花、ですか。偶然とは申せ、よき折に咲いたものですね。橘の香は昔の香りがするといいますから。」
 謎めいた婦人の言葉に、男はいぶかしげな表情で見つめる。
「あなた様にお客様をお連れしました。」
「客人?儂に?」
 それまで婦人の後ろに隠れるようにして立っていたおようは、婦人に促され、前に出た。
「つや・・・」
 おようの顔を見た瞬間、男の口からおようの母の名が漏れた。かすかなつぶやきであったが、おようはそれを聞き逃さなかった。だが、それには気づかぬ風を装って、丁重に頭を下げ、
「父上、お久しゅうございます。娘のようです。」
 おようは毅然として名乗った。
「そうは申しましても、覚えておられないかもしれません。父上とお別れしたのは、私が三つのとき。私の方はぼんやりとしかお顔を覚えておりませぬが―」
「いや、よく覚えておる。」
 男は怒ったようにぶっきらぼうに言うと、二人に背を向けて立ち上がった。
「茶を一服。お船どのもどうぞ。」
「いえ、私はこれにて失礼を―」
 婦人が男の申し出を断ろうとすると、男は先刻戯れたときの顔に戻って、
「せっかく届け物をしてくださったお方に、茶の一服も進ぜずに帰したとあっては、ひょっと斎はなんとケチな男よ、と笑われますゆえ。」
 その言い訳が可笑しかった。それは建前で、本当はいきなり「娘」といわれた若い女子とどう顔を付き合わせていいのか、その術が見つからなかっただけだった。
 婦人はそんな男の気持ちを察して、
「では、一服だけ。」
と笑って男の後に続いた。



 一丈(約3メートル)四方の庵の奥の、ささやかな床の間には朱槍が一条立てかけてあった。手にする部分がずいぶん色あせているのは、歴戦の名残をとどめているのであろうか。床の間の前には書物が高く積まれている。
「およう、こちらは上杉家の家老、直江山城殿のご内室、お船どのだ。」
 おようはぎょっとした。直江山城守といえば、かつて徳川家康に対し、挑発の書状を送りつけ、一戦を交えんとしたという男ではないか。その男の妻が、自分を父の元に案内してくれ、穏やかな面持ちで茶を喫している目の前の女人だというのか。
「お船どの、今夜一晩、おようを泊めてやってはくださらぬか。父娘(おやこ)とはいえ、ここに若い女子を泊めるのは・・・」
「いいですとも。なんといっても慶次どのの娘さんですもの。夫も喜ぶことでしょう。」
 男の口から「父娘」という言葉が出たことは意外だった。その言葉に気を取られて返答に遅れたおようは、あわてて、
「私のことでしたらお気遣いなさいませぬようお願い申し上げます。今宵の宿は城下で探しますゆえ―」
 丁重に断ったが、お船が異を唱えた。
「あなたさまもここに来る途中、ご覧になったでしょう。城下の有様を。まだまだ建設途中で、恥ずかしながら旅のお方をお泊めする宿など、この米沢にはございません。どうか遠慮なさらずに。」
「お船どののいう通りじゃ。それに、山城殿はよき漢(おとこ)じゃ。会って損はない。」
 そう言って慶次郎はからからと笑った。
「お船さまがそうおっしゃるのでしたら―」
 お船はにっこり微笑んで、慶次郎に後でおようを連れて来てくれるように言い残し、庵を出て行った。



 お船が出て行き、慶次郎と二人だけになった空間は、息が詰まりそうだった。
 ここに来るまでの間、父に会ったら今までの恨み言をすべてぶつけてやろうと思っていたが、いざ父と二人きりになってみると不思議と言葉が出てこなかった。
 慶次郎も息苦しさを感じたのか、
「今日は天気もよい。外へ出よう。」
独り言のようにつぶやいて立ち上がると、庵を出て行った。おようもその後を追った。
 門を出て、慶次郎の後を追う。道は裏手の山に続いているらしかった。
 おようは無言の背中を追う。慶次郎の歩幅は広いので、おようは遅れまいと小走りになる。そんなおようを知ってか知らずか、慶次郎は黙々と坂道を登っていく。
 むせ返るような若葉の香りが胸いっぱいに広がってくる。陽光は穏やかに降り注ぎ、木々の緑が目にまぶしいほどだった。おようは少し汗ばんでくるのを感じた。
 息を弾ませて慶次郎の後についてきたおようの視界が突然開けた。
 広さは庵とあまり変わらないようだったが、さえぎるもののない空間が気持ちを伸びやかにした。天空は透き通った蒼―
 慶次郎は無造作に草の上に横になった。
「どうだ。よいところだろう。『月見平』というんだ。儂が名づけたんだが―」
 慶次郎は静かに目を閉じた。



 静かだった。鳥のさえずりと、時折風が吹いてきて木々の葉を揺らす音のほかは何一つ物音がしなかった。城下の喧騒も、遠い下界の出来事で、先刻渡ってきた大河の向こうに城下が煙って見えるだけである。
 おようがぼんやりと見るとはなしに遠くの風景を目に佇んでいると、慶次郎が静かに言った。
「こちらに来て座ったらどうだ?気持ちがよいぞ。こうして草の上に寝転がると、自分が大地とつながっておるということが実感できる。」
 おようは言われるままに、慶次郎の傍らに来て座り込んだ。
「この丘で見る月は格別なのだよ。だから『月見平』というわけだ。おまえが男だったら、酒でも酌み交わすところなんだがなあ―」
 目を閉じながら慶次郎は言葉を継いだ。
「月といえば、おようはなよ竹のかぐや姫の物語が好きであったなあ。どういうわけかかぐや姫が月へ帰っていく場面が好きで、何度も何度も読んでくれとせがまれた。」
 おようははっとした。そのようなことは少しも覚えていなかったからである。
 おようが唯一覚えているのは、父がいなくなった日のこと―



 天正も末のこと。太閤秀吉による小田原征伐が行われた年の暮れであった。
 小田原征伐の時、太閤の不興をかった前田利家は、一時蟄居を命じられたが、まもなく許され、その年の秋には太閤の命で東北方面の検地へ出向いていた。
 検地と一口でいても、土地の人々の反発は激しく、それを抑えての強行事業は戦となんら変わりないものであった。
 慶次郎は利家には従わず、加賀で留守を命じられていたが、その利家が十月末に加賀に戻ってきた。慶次郎は検地の労をねぎらうという口実で、利家を茶の湯に招いた。
 みぞれ交じりの雨の降る寒い日だった。その日、利家を迎える準備を整えた慶次郎は、利家の来訪を待つ間、年が明ければ四つになるおようの遊び相手をするためにおようの部屋にやってきた。
 おようは雛遊びの道具を持ち出してきたが、慶次郎は、侍の娘が、公家のような遊びをするものではないと、自らが彫った木彫りの馬や兵士を持ち出して、戦の真似事をして遊んでいた。
 そうこうしているうちに殿様の来訪が伝えられ、慶次郎はにっこり笑って、
「儂はこれより大事な戦に行って参る。おようはここで留守を守っておれ。」
と言って、部屋を出て行った。
 一刻ほどして家中が騒然となった。誰かが大声で怒鳴っている声が聞こえた。おようが部屋から出ようとすると、すぐ上の姉を連れて侍女がやってきて、部屋から出てはならないと言った。なにか異変が起きたには違いなかったが、幼いおようには何が起きたのか見当もつかなかった。
 そしてそれきり父の姿を見ることはなかった―
 部屋に散らばったままの馬や兵士の人形たち。日が落ちても明かりを灯すことなく、暗闇の中でひどく恐ろしかったこと・・・
 「戦」に行って来るといったまま、遊びの途中でどこかへ行ってしまった父に対しておようはただ腹が立った。
 おようがそのときのいきさつを聞いたのは、ずいぶん大きくなってからであった。
 利家を茶の湯に招いた慶次郎は、湯に入ることを勧めた。折からの寒さで身体も冷え切っていた利家は、喜んで湯殿へ案内された。ところが湯船にはられていたのは湯ではなく、凍るような水だったのである。湯の代わりに冷水を馳走された利家は激怒した。が、当の慶次郎はすでにどこかへ去った後で、腹の虫の収まらない利家は、残された家族を打ち首か追放に処すと息巻いた。利家夫人のまつや、利家の兄で、おようたちの母方の祖父である安勝らの取り成しによって事なきを得たのを知ったのもずいぶん後のことである。
 おようが覚えている父・慶次郎との思い出は、幼心に味わった惨めさと恐怖と憤りと寂しさがないまぜになった、その日の光景だけであった。



 父が自分とは違う思い出を抱えていることを知って、おようは身体の中で何かが崩れていくような気がした。大きな石で頭を思い切り殴られたような衝撃が走った。
「米沢の町はどうだ?よい町であろう。」
「よい町、かどうかはわかりません。なにしろどこを歩いていても砂埃が舞って、歩くのも難儀です。」
 おようは動揺を隠すように、ぶっきらぼうに言った。
「ははは・・・。それは仕方ない。米沢に移って三年足らず。町造りはこれからだからな。ここはもと、伊達の領地だったのが、上杉家が会津に転封になった折、太閤が山城殿にくださり、そのあと上杉家全体が入ることになったのだ。言ってみれば景勝殿は家臣の領地に厄介になることになったのだ。それでも文句ひとつ言わない。寝所の中で泣いているか、それはわからん、が、とにかく、儂らの前では泣き言ひとつ言わないのだよ。たいした漢だよ、景勝殿は。あの戦のときも―」
「あの戦」というのは、家康が会津征伐に下ったときのことを言っているらしかった。
「あの戦のときの采配も、実に見事であった。家康は、敵に背中を見せて怯えながら退陣していったであったろうが、景勝殿は後を追わなかった。背後の最上や伊達が気にならないと申せばうそになるが、それでも後ろからたたけば、われらの勝利は確実であった。儂とて家康相手にひと暴れしたかったのだがね。考えてみるに、あの戦はもともと家康が仕掛けたものだった。仕掛けた相手が矛を収めたのなら、仕掛けられたほうも矛を収めるというのは道理である。景勝殿は実に見事に戦の仕方を心得ておる。
 そしてあの負け戦の後も実に堂々としておられた。負け戦の大将がああも悪びれずに、勝った大将の前に座ったというのは、古より多くの戦があれど、景勝殿ただ一人であろうよ。」
 目を閉じながら語る慶次郎は、満足な様子だった。
 おようはそんな父の姿を見て、どういうわけか心が満たされるのだった。



 どのくらいの時が過ぎただろうか。ややもすると時が止まってしまったかに思えるような感覚に襲われる。
 慶次郎は目を閉じたまま、ぴくりとも動かない。眠ってしまったのだろうか。
 おようはそっと顔を近づけて慶次郎の顔を眺めた。目じりや額のあちこちにしわが刻まれていたが、まぎれもなく、思い出のかけらの中の父に相違なかった。
 ふと、おようの頭を背後から暖かいものが覆いかぶさり、ゆっくりとおようの頭を慶次郎の胸に近づけた。それは慶次郎の手であったのだが、おようはその手に導かれるままに慶次郎の胸に顔を預けた。



「皆は達者か」
 目を閉じたまま、慶次郎は尋ねた。慶次郎の問いが突然だったので、おようはその顔を見ようと自分の顔を上げようとした。だが、彼の手はおようがそうすることを阻み、力を込めた。おようは顔を上げることをあきらめ、慶次郎の鼓動の音を聞きながら
「母と兄は亡くなりました。四人の姉たちは元気です」
 それだけ言うのがやっとだった。
「そうか」
 短くうなずいた慶次郎は再び口をつぐんでしまった。
 おようは抱かれたまま、赤子のように父の鼓動を聞いていた・・・



 日も傾きかけたころ、おようは慶次郎に連れられて、お船の屋敷にやってきた。
 屋敷に着くと慶次郎は門番の家士に何かを告げ、おように一瞥すると
「今日のところは、儂はこれで帰る。」
 それ以上何もいわずに、おように背を向け歩き出した。
 その背中はひどく小さく見えて、おようは哀しくなった。
 それから間もなくお船が出てきておようを屋敷に招き入れた。
「本当は、お客様をお泊めするような家ではないのですけれど・・・」
 なるほど、家屋敷は俄か普請のようで、工事も半ば中断されているのか、庭の片隅には材木が積まれている。 直江山城守兼続は、主君上杉景勝の信任厚い、辣腕の家宰と聞くが、その主の住む家とはとうてい思えない質素な構えであった。
 おようが部屋に案内されてしばらくくつろいでいると、廊下で足音が響き、お船がやってきた。
「主が戻ってまいり、ご挨拶を申し上げたいと」
 おようはあわてて身じろぎをととのえると、お船の言葉に続いて大柄な男が部屋に入ってきた。
「こちらが慶次殿の娘御でござるか。」
 平伏したおようの頭に響いてきたのは、低いが良く通る男の声であった。
「はるばる加賀よりよく参った。ささ、堅苦しい挨拶はよいから、顔を上げられよ。」
上座に着いた男はにこやかな口調でおように話しかけた。だが、おようはとっさに頭を上げることができなかった。そこにいるのは、あの、徳川家康に楯突いた、反骨の男である。どんなにか、恐ろしい形相の仁であるかと、恐る恐る顔をあげて、「あっ」と小さく息を呑んだ。
 おようの目の前には、五月の風のような颯爽とした男が座っていた。日に焼けた顔はにこやかで、おようは自分の想像があっさり裏切られて安堵した。
「おようさま、主の直江兼続です。」
 横からお船がおようの気持ちを落ち着かせるように言った。おようは動揺を隠すように再び平伏し、
「前田慶次郎が娘、おようにございます。」
「このようなむさくるしい所にお客人をお迎えするのはまことに恥ずかしいのだが、遠慮せずにくつろいでいってくだされ。」
 直江山城守兼続はおようの目にとても好ましく映った。
 そして直江の日に焼けた顔がひどく印象的だった。
「上杉は小さな領国に押し込まれた。ここに来たばかりのころは、雨露をしのぐのがやっとの住まいしかあてがうことができず、ここへきてようやくそれぞれの士に住まいを与えることができるようにはなったが、まだまだ仮住まいの者が多い。共に苦労する決意で米沢にやってきたというのに、家老だからといって下々の者たちをよそにのうのうと暮らしているわけには参らぬからな。儂らのことは後になっても、民たちが安堵して暮らせる町を作らねばならない。雨の季節が来る前に、堤防の普請だけはなんとか終わらせてしまわねばならぬ。そう思って儂も民たちと共にもっこを担いで、ほれ、この通りむさくるしいなりで・・・」
 そう語る直江の横で、お船はにこにこと夫の言葉を聞いている。
 おようは昼間見た、生気あふれる城下の様子を思い出していた。狭い領国に押し込められていながら、人々が嬉々として立ち働いている道理を理解した。そしておそらく父・慶次郎も、ここでは孤独ではないのだろうと思った。



 兼続が部屋を出ると、後を追うようにお船も部屋を出ようとしたが、おようはお船を引きとめた。
「お船さま。」
「はい。」
「実は私、来月祝言を挙げることになっております。」
「まあ、そうでしたか。それはおめでとうございます。」
「それで、婚約者に父のことを話したら、引き取ってもよいと申してくれて―加賀の殿様にもそれを申し上げましたら、ぜひ連れて帰るようにとの仰せにございました。」
「そうですか。そのことは慶次殿には?」
「話しておりません。
 お船さま、私は父を連れて帰るつもりで米沢に参りました。ここに来る道中、突然いなくなった父を、どれだけなじってやろうかとそればかり考えておりました。いいたいことは山ほどあったはずなのに、父と二人きりになってみるとそんなことはどうでもよくなってしまって―
「・・・」
「私は父に対して、恨み言を言うことしか思い浮かばなかったのに、父はちゃんと昔のことを覚えていたのです。
幼いころ、私はなよたけのかぐや姫の物語が好きで、何度も何度も父に本を読んでくれとせがんだそうにございます。私はといえば、父のことは唯一、父がいなくなった日のことを記憶にとどめているだけで、父を恨むことしかできなかったというのに、父は大切なことをちゃんと覚えていて・・・おそらく父は私だけでなく、母や兄や姉たちのこともしっかり胸の中に刻み込んでいるんだと思うと・・・・」
 話しながらおようの胸に熱いものがこみ上げてきた。そこから先は言葉にならなかった。
「おようどの。慶次殿はあなたに会えたことを、心から喜んでいるでしょう。慶次殿の目はいつになくお優しかったですよ。」
 お船のことばにおようは救われる思いがした。胸にこみ上げてきた熱いものは雫となっておようの頬を伝った。



「本当に、慶次殿をお連れしなくていいのですか?」
 翌朝、おようを見送りに出たお船は心配そうに尋ねた。
「はい、いいのです。考えてみれば、あの『槍の又左』の高徳院様(=前田利家)でさえ御しきれなかった前田慶次郎を、私ごときに飼いならせるはずもございません。前田慶次郎は龍のごとき男です 。その龍を易々と飼いならしていらっしゃる米沢の殿様は、さながら天帝様でございますね。」
 おようは生真面目な顔つきで言った。その表情と言った言葉のちぐはぐさが笑いを誘った。
「さようか。わが殿は、天帝でござるか。さすが慶次郎殿の娘御じゃ。言うことがふるっておる。」
 直江山城は、日に焼けた顔に満面の笑みを浮かべた。
「山城守さま、お船さま、本当にお世話になりました。万が一、父が病み衰えてそれこそ悪戯もできなくなりましたときには、そのときこそ、迎えに参ります。今しばらく、父をよろしくお願い申し上げます。」
 気持ちを込めて、おようは深々とお辞儀をした。
「あの男は、槍でついても死にそうにない男じゃ。何年、何十年先になるかわからぬぞ。」
「それならそれでよろしゅうございます。この空の下で、父が生きていると思えることで、私は満足でございます。」
 言いながらおようは大空を仰いだ。直江とお船もつられるようにして、空を見上げた。一点の雲もなく、すっきりと晴れ渡っていた。空高く、鳶が弧を描いて飛んでいる。この空は、加賀にもつながっているのだ。たとえ遠く離れていても、空を通して近くに感じることができるのだ、とおようは思った。
 二人に別れを告げると、おようの足は自然と堂森に向かっていた。
 城下は昨日と変わらない活気にあふれていた。



 庵の中に慶次郎の姿はなかった。
 上がりかまちの畳の上に、橘の花のついた小枝に文が添えられて置かれていた。
 橘の花はよい香りがした。摘んで間もないものということがわかった。おようが訪ねるほんの少し前まで慶次郎がそこにいたことは明らかだった。
 文を枝からといてみると、
「おようとの江」
と上書きされていた。裏を返すと
「父」
とだけ記されている。
 おようの胸は大きく高鳴った。十数年前、前田の家を去ったときでさえ、一片の書置きも残さぬ男であった。愛しい人からの恋文を開くときのような感覚を覚え、文を広げる指先が震えた。
 開いた紙片には、音に聞く豪胆の士が書いたものとは到底思えないような、ずいぶん繊細な文字で、


    あひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり


と、いにしえの歌が記されていた。
「あひ見ての」などと艶っぽい歌を娘に送る父親がどこの世にいるだろうか。
 おようはなんだかおかしくなって相好を崩した。
 と、引き戸がかすかに鳴った。
 はっとして、おようは音のした方を振り返った。
 開け放したままの戸口には誰もいなかった。
 おようはあわてて戸口のところに行き、外を見たが、やはり誰もいなかった。気配を感じたのは気のせいだったのだろうか。
 ひょっとして、父はあの月見平と呼ぶ丘にいるのかもしれない―
 そういう思いがおようを支配して、文を折りたたむと庵の戸を閉め、一端門を出て、庵の裏山への道を急いだ。
 半分ほど上ったところで、おようは歩を緩めた。
 父は十中八九、月見平にいるだろう。だが、父に会うのはよそうと思った。どういうわけか、父が泣いているような気がしたからである。
 父の涙を見たら、父を連れずに加賀へ帰ろうとしている決意がくじけてしまいそうだった。
 おようは立ち止まって、もう一度文を広げてみた。


    あひ見てののちの心にくらぶれば昔はものを思はざりけり


 恋の歌という薄紙で気持ちを包み込んでしまっているけれども、父の思いは十分に感じ取ることができた。おようはそれだけで十分だと思った。
 おようは、丁寧に文を折りたたむと胸にしまい込み、父が手折ってくれた橘の小枝を髪に挿した。それからくるりと向きを変え、もと来た道を戻った。
「無苦庵」の前に来ると、懐中から小筆と懐紙を取り出し、慣れた手つきで懐紙に返しの歌を書き付けた。


    五月待つ空ぞ 便りもなかりける人にあひ見し後の心は


 墨が乾くのを待ってから、丁寧に懐紙を畳み、戸口の隙間にそれを挟んだ。
「無苦庵」に向かい、一礼すると、夏草の茂り始めた小道を、城下の方へ歩き出した。
 月見平が全望できるあたりまでくると、おようは立ち止まり、月見平の方へ向き直って目を閉じ、そっと手を合わせた。
 月見平のどこかで父が見ているかもしれない。いや、見ていなくともよい。
「前田慶次郎は死に申した。」
 初めて父を訪ねたとき、お船にうそぶいた慶次郎の言葉を、かみ締めるようにつぶやいてみた。つぶやくことで、すべてを納得しようとした。
 父が家族を捨て、前田の家を飛び出したこと、戦が終わっても、父が戻ってこないこと、そして、父を連れずに一人で帰ろうとしていること・・・
 目を閉じたおようの髪を、初夏の風がやさしく撫でつけて行った。花橘の香りがほのかににおい立った。〈完〉



モドル


 

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