雪雫(ゆきしずく)

(前田慶次郎の巻)

「加賀も雪深いところであったが・・・」
 積もって久しく、根雪となって地に貼りついた雪が白い世界を創り出している。その白一色に覆われた風景を見つめながら、男は独り言のように言った。
「会津(ここ)も、ずいぶんと雪にやり込められる所と見える。」
 男の名は前田慶次郎利太。
 加賀の大守、前田利家の甥でありながら、利家と折り合いがつかず、前田家を出奔し、浪々の境遇に身を置いていた。前田家を出奔するとき、寒中利家に水風呂を馳走せしめたという話は語り草になっている。
慶次郎は数多の戦(いくさ)で名を轟かせた剛勇の者であった。今ふたたび天下が騒然とし始め、世を二分する大戦(おおいくさ)を予感し、去る慶長4年の暮れ、会津の上杉が士卒を募っているとのひそかな噂を聞き及び、兼続という旧知を頼って北の地を訪れたのであった。
「前田殿。外は冷える。中に入ったらいかがか?」
 そうしていれば、いつまでも飽きることなく外の風景を眺めていそうな慶次郎の背中に、兼続は声をかけた。
「城州殿とて、雪国育ちのはず。雪はお嫌いか?」
 慶次郎は兼続をからかうようにして、人懐こそうな笑顔を向けた。
 それからゆるりと立ち上がると、家主の言葉にしたがって部屋に入り、障子を閉めた。
 部屋の中は適度に暖められ、家主の心遣いが感じられる。座にはささやかな酒肴が用意されていた。
 慶次郎は障子を背にしてふわりと腰を下ろした。

「雪は嫌いではないが―」
 先刻の慶次郎の問いかけに生真面目に兼続は答えて言った。
「思うように仕事がはかどらぬ。」 

 上杉家が生国の越後から、会津の地に移封されたのは、2年前の慶長3年のことであった。会津に移ってから半年ほどして、太閤殿下がみまかった。五大老の地位にあった主君景勝は大坂に赴き、その後もしばらくかの地を動けない状況に陥って、ようやく旧年の秋、会津に戻ることができたのだ。もちろんこの間、兼続も同行している。したがって新任地の仕置きも不充分なまま長いこと領国を留守にしなければならず、ようやく領内の仕置きに取り掛かったものの、季節は冬を迎えていた。
 領内の仕置きと一口で言っても、街道の整備、河川の橋の架け替え、城郭の整備、検地・・・と、するべきことは山ほどある。
 更に、会津の城は「難攻不落」と謳われた名城であったが、それだけでは不充分として、城の西北の「神指原」と呼ばれている広大な原野に新しい城を築こうとしていた。新城の普請は雪解けを待ってから行われる予定であったが、思いのほかいつまでも残っている雪のせいで、思うようにことが運ばない。
そのほかの工事も雪のため、中断されたままになっている。年も改まり間もなく一ト月がすぎようとしているのに、工事は遅々として進まない。
 慶次郎はその事情を心得ているので、兼続が言わんとしていることを理解できた。
「城州殿。仕事が思い通りにならぬのもわからぬでもないが、そう急ぐこともあるまいて。雪国育ちの我らでさえ難儀しているこの時期に、雪を知らぬ誰が攻めて来ようぞ―まあ、攻めてくるのであれば、こちらが有利であることは火を見るより明らかだが。」
 本気とも冗談ともつかぬような口ぶりで慶次郎は言った。
「前田殿。お主は不思議な男だな。わざわざ雪の季節を迎えるという時期に、なにも好き好んでこの北の地に足を運ばずともよさそうなもの。それに、前田家におれば、万石の禄も保証された身であっただろうに・・・。」
「前田の家か。叔父御が生きておれば、あれはあれでからかいがいのある御仁であったが、倅殿など、からかいがいもない。」

 慶次郎の叔父にあたる前田利家―「叔父」とはいえ、慶次郎は利家の兄の養子であるから、実際に血は繋がっていないのだが―は、昨年3月この世を去った。太閤殿下の信任厚く、幼い秀頼君の後事を託され、徳川家康と並んで、五大老の筆頭の地位にあった。
 死の間際、夫人おまつの方が
「おまえさまは戦で大勢の人を殺しなさった罪深いお方じゃ。せめてこのまつが作った経帷子をお召しになって、死出の旅に赴いてくだされ。」
と言って、夫人みずから縫い上げた経帷子を身につけさせようとしたとき、
「なにを申す。たしかに儂は戦で大勢人を斬った。じゃがそれも故あって成したこと。故なき殺生など、一度たりとてしてはおらぬ。それを、万が一、地獄の大王が罪として儂を咎めると言うのであれば、先に死んだ部下たちを引き連れて、地獄の底まで攻め入るまでよ。」
と豪語して、経帷子を着けることを最後まで拒んだという。
 律義者として知られた利家であったが、歴戦の将としての気概は死ぬまで持ち合わせていたのであろう。
 そんな叔父を、慶次郎は憎からず思っていたのかもしれない。
 一方で、そういう面を持っていながら利巧面する利家に反発を感じていた。利家の立場からすれば、そうすることもいた仕方のないことであったのも重々承知はしていたが。

「おまつさま―いや、芳春院さまのこととて、あの方が自ら進んでなされたというのもわからないではないが・・・。」
 「芳春院さまのこと」とは、利家が亡くなって間もなく金沢に帰った嫡男利長が、家康から謀反の疑いをかけられ、身の潔白を証すために母親である芳春院を「証人(人質のこと)」として江戸に差し出す、ということであった。雪が解ける頃、芳春院は江戸に向けて旅立つことになるのだろう。
 芳春院にしてみれば、前田の家は、夫と自分が二人で築き上げたものという自負がある。それを夫の死の涙も乾かぬうちにむざむざとつぶされてしまうことは、なんとしても耐えがたいことであった。
 慶次郎とてその心情は痛いほどに良くわかる。
「だが、前田の生き方は、美しくない。」
きっぱりと言った。
「美しくないところで、高禄を食むなんてのは、やっぱり美しくないからな。」
 慶次郎の言葉を今の言葉におきかえるとすれば、前田の生き方は彼の「美意識」に反する、ということだろう。
それゆえ、前田家を去ったのだと。もしかしたら、自分が内府を許せないと思うのは、内府のやり方に、慶次郎の言うところの「美しさ」を見出せぬゆえかもしれぬと兼続は思った。
「美しくない―か。そうすると、上杉は『美しい』と?それで上杉に来たか。」
「それもある―それもあるが、城州殿、俺はお主が好きだ。そしてお主の主君(あるじ)殿も。会津中納言殿は俺が見たところ、当世きっての大剛の大将。そんな大将のもとで戦働きができるとすれば、男冥利に尽きる、というもの。」
 そう言って、慶次郎は少年のように笑った。
「では、もし上杉が負けたら―?」
「おいおい、総大将たるものが、そんなことをいうものではない。」
慶次郎にたしなめられたことは、兼続には良くわかっていた。たとえ一瞬でも「負ける」などと一軍を率いるものが頭の片隅にでもよぎらせたとしたら、その時点で兵の士気は愕然と下がるだろう。誰かに言われずとも、兼続自身身をもって良くわかっていることだった。
「だが、そのときはそのときだ。そのとき俺がどうするかなど、今の俺の知ったことではない。」
「実に奇妙な男だな、お主は。」

「たとえば俺が、城州殿、お主のような武将に討たれて命を落としたとしよう。所詮根無し草のような俺が死んだところで、骨を拾う者などあろうはずがない。野ざらしにされた俺の死骸は歳月とともに風化してゆくだろう。
何年か、何十年か経って戦(いくさ)のない世の中になったとき、あるときそこを旅の娘が通りかかる。―いや、旅の途中だろうが、近くに住んでいる者であろうがそんなことはどっちでもいいんだが、―とにかく若い娘が、だ・・・」
 慶次郎は「若い娘」という言葉をことさらに強調した。おおまじめな顔でいうものだから、ひどくおかしい。
「そうだな、あの、『若紫』の姫君のような純真無垢な若い娘が、雨風に晒されてボロボロになった俺のカケラを見つけるんだ。
 娘はいっしょにいた父御(ててご)に『これは何?』と尋ねる。すると父御は答える。
『このあたりは昔、大きな戦があったところじゃ。ひょっとしたら、その戦で命を落としたお侍さんのものかもしれない』と。―」
「死人(しびと)の骨と聞いて娘は一瞬たじろぐが、気を取り直して、足もとのカケラを手に取り、
『どのような身分の方なのかわからないけれど、こんなところに野ざらしにされているなんて・・・』
 そう言って土を掘り、俺のカケラを静かに埋めるんだ。あたりに咲いている名もない花々を摘んできて、ささやかな墓前に供えてくれる。
 娘は作ったばかりの小さな塚に向かって―つまり俺に向かって、そっと手を合わせてくれる・・・
―どうだ、いいと思わないか?」
 話し終えた慶次郎は満足そうに盃を傾けた。兼続は、あっけにとられて慶次郎の話を聞いていた。ひどく子供じみた話だった。歴戦の猛将と世に謳われた前田慶次郎の頭脳のどこに、かくも可憐な思考が隠れているのだろう。兼続は自分より十以上も年上のこの男の思考を驚きをもって思った。

「拾ってくれるかね、『若草の君』が。」兼続は尋ねた。
「拾ってくれるさ、『若草の君』がな。」
 二人は静かに盃を重ねた。

―静かだった。不穏な空気が今、世の中に充満していることなどうそのような静寂が二人を包んでいた。

「長いこと、邪魔をした。そろそろお暇する。」
 飲み干した盃を置くと、慶次郎はそう言ってやおら立ち上がった。
「そうか、では門まで送ろう。」
 慶次郎のあとを追うように、兼続も立ち上がった。
「冷えると思ったら、雪か―」
 障子を開けた慶次郎はつぶやくように言った。
「もうしばらく普請は中断・・・だな。」
 兼続は、「普請の中断」ということを口にしたが、案外素直にそのことばが出てきたことに自分でも意外な気がした。
 慶次郎は兼続の方を振り返り、二人は顔を見合わせて笑った。

 二人のいる屋敷を包み込むようにして、真綿のような白雪が、あとからあとからとめどなく降り注いでいた。(完)





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