戻れぬ空(前田利長の巻)




 重苦しい空気が部屋を支配していた。部屋中の空気がまるで鉛の塊と化してしまったかのような息苦しい気配だった。

 慶長四年九月中旬、金沢城内―

 しわぶき一つする者はいない。集まった者は皆押し黙り、視線を下に落としたままだった。
主・前田利長の眼はつりあがり、燭台の火灯りが彼の顔を異様なほど蒼白く染めていた。

 

 

 徳川家康の執拗な奨めに屈するようにして、八月の末、利長は不本意ながら大坂を離れ、領国の加賀に戻ってきていた。その利長のもとに家康からの使者がやってきたのは五日前のことだった。
 家康からの趣は「上方のことはなにも心配はいらないから、肥前殿(=利長)は領国にてゆるりと休まれよ。」というなんの変哲もないものであった。利長の加賀での動向を探りに来たたことぐらいは容易に見当がつく。だが、利長は疑いの様子を少しも見せずに、ささやかな酒宴を催して、使者の労を労った。
 利長が家康の使者をもてなしている最中、宇喜多秀家の使者が到来した。宇喜多秀家には利長の妹・豪姫が嫁いでおり、利長と秀家は義兄弟の間柄であった。
 秀家の使者は「先客」がいることにひどく当惑した様子だった。その当惑ぶりが尋常ではなかったので、対応に出た利長の家臣・横山長知は訝った。だが、使者の持参した秀家からの書状は、家康からのものと同趣のことが書かれているだけであった。

 家康の言葉を信用したわけではなかったが、利長は「ゆるりと」休んでいる風を装って、使者たちを帰すと越中方面へ鷹狩に出かけた。

 鷹狩の最中、西方より馬を疾駆させてくる武者がいた。

 ―刺客!

 利長の家臣は身構えた。だが、馬を降りて丁重に利長の前に伺候したのは、帰したはずの秀家の使者であった。息を弾ませながら使者は言った。
「先般は、内府様の御使者と鉢合わせたため、申し上げられませんでしたが…」
 一呼吸を置いてから言上した使者の話は次のようなものだった。

 利長が大坂を発った数日後、家康は利長の母・芳春院と、妻・永姫を人質とし、伏見の前田屋敷の周りに兵を置き、厳重に固めている―

 話を聞き終わった利長は、体を小刻みに震わせ、
「内府め。儂を加賀に帰したのは、これが目的だったか!」
 それから、誰とはなしに言い放った。
「伊予(=奥村永福)と豊後(=村井長頼)がついていながら、あやつらはなにをしておるのだ!!」

 鷹狩は即刻中止。
 すぐさま、富山城に戻った利長は、鷹狩に従った重臣たちを集め、策を講じた。重臣たちとはいえ、鷹狩に付き従ったのは年若い連中ばかりであり、篠原一孝、高畠定吉ら、利家時代からの家の年寄(おとな)たちは皆金沢で留守を守っていた。
 重臣たちは利長に遠慮して皆押し黙っている。「知恵袋」と賞賛されている横山長知でさえ、突然降って沸いたような御家の危機に言葉を失っている。

 そこへ、細川忠興からの使者が到来した。忠興の嫡子・忠隆には、利長の妹の千世が嫁いでおり、忠興は利長にとって妹の舅にあたる。その忠興からの注進は利長をさらに震撼とさせた。

 利長が家康の暗殺を企てたと注進する者がいて、怒った家康が加賀征伐と称して兵を集めている。二、三日中にも上方を発つ気配である、というのだ。

「内府め!たばかりおって!儂が内府の暗殺を企てただと!?今こそ、内府めを引き裂いてやりたいわ!」

 利長は落ち着きなく部屋の中を歩き回る。

「殿!」

 脇から長知が口を開いた。

「突然のかような事態、まさに寝耳に水でありますれば、我等も気が動転いたしております。今日の所はお休みあそばし、明日金沢に戻りましてことをはかってはいかがかと・・・。金沢にも早馬を遣わしてありますれば、留守の者たちも知恵を絞ってくれましょう。」

「大膳(=長知)。内府が二、三日内にも攻めてくるかも知れぬというときに、その方ともあろう者が、生ぬるいことを!ただいまより戻る!」

 利長の一声に、一同はすぐさま帰り支度を整えると、夕闇迫る中、ひたすらに金沢を目指した。

 

 

 金沢に到着した利長が、在住の人持を全員集め、今後の対応策を練ろうと城に徴集してから一刻あまりにもなる。重苦しい空気に息も詰まりそうになりながら、しかし誰一人として口を開こうとする者はいなかった。

 閉め切った城内の一室のよどんだ雰囲気とは裏腹に、外はすっきりとした秋晴で、夕焼けが空を紅く染めていた。

 家康と一戦を交えるか、恭順か―

 利長が家康暗殺を企てたなどと、虚言であるのはわかっている。おそらく家康自身も虚言である事を見ぬいた上で、前田はけしからん、としているのだろう。口実はどんな些細な事でもよかった。ただ家康は前田という目障りな「目の上の瘤」を潰したいだけなのだ。

 家康と一戦を交えて汚名を返上したい―重臣たちは誰もがそう考えていた。そして利長自身も。だが、前田家が百万石の大大名とはいえ、倍以上の石高を有する家康の兵力にはとてもかなわない。そして、反旗を翻したとなれば、人質に取られているという芳春院と永姫の命の保証はない。

 いつしか燭台に灯りが灯され、火灯りの中で利長の蒼白い顔がぼうっと浮かんで見えた。大坂での気苦労は利長の頬の肉を削ぎ落とし、頬骨が陰影を作り、凄絶な形相となって闇の中に浮かんで見える。

 利長も迷っていた。己の意地を貫くか、母と妻を取るか―

「畏れながら申し上げます!」
 そのとき、恭しく言上する者がいた。

 高畠石見守定吉だった。
 定吉は利長の母・芳春院の甥であり、若い頃より利家に仕え、利家の妹を妻にしていた。1万7千石を禄する前田家の重鎮のひとりである。
 その定吉が、沈黙を破って、大きく息を吸い込むと、あたりを揺るがせるかのような大音声で上段の利長に鋭く言い放った。

「内府公との有無の御一戦、然るべし!」

 一同は驚いて、一斉に定吉の方を見た。定吉は深々と頭を垂れ、視線は畳の縁を見据えている。

 利長のまゆが釣りあがる。

「石見!その方は、我が母と妻に、死ねと申すかァ!」

 利長は立ちあがると、拳を握り締めて定吉を睨みつけた。
 定吉は平伏したまま言葉を継いだ。

「その儀は―
 万が一、事態がそのようなことに陥りましたときには、この石見、父子ともども腹を切りましょうぞ。しかしながら、我らは清廉潔白。その我らを叩こうとしている事を知っていながら、おめおめと手をこまねいているだけとあっては武士として情けなくもあり、後の世まで物笑いとなりましょう。
 さらに我らは亡き太閤殿下より、秀頼公をお守りするようにと仰せ付けられ、亡き大殿も、殿もよくお守りなされました。その我らに、鉾を向けるとは、秀頼公に対する謀反も同然。謀反人を誅するのに何の遠慮がいりましょうや!」

 定吉の言うことは理にかなっている。座にいる誰もが同様に考えている。だが…

「殿!この儀は亡き大殿の御意志でもあらせられますぞ!」

 声を荒げた定吉は言い終わると顔を上げ、利長をきっと睨み据えた。

「亡き大殿の御意志」―その言葉に利長はどきりとした。

―利長は上方に八千の兵を置き、利政には兵八千をつけて国元に置き、秀頼様に謀反を企てる者があれば利政は即刻上洛の上、そろって仕置仕る事、向こう三年間は利長は秀頼様をお守りし、大坂を動かぬ事―

 利家は死期が迫った数日前、夫人に筆記させて自分の死後の仕置を細々と言い置いていた。その遺言状は、利家の死後、利長をはじめ、ごく限られた重臣の間だけで披露された。当然前田家とは近い縁戚関係にある定吉もその中にいた。

 大坂を発つとき、長老格の村井長頼と奥村永福は、「わずか半年で大殿のご遺言を反古になさるとは、御家のご運も末か。」と言って嘆いたが、利長とて思いは同じであった。後ろ髪をひかれるとはよくいったものだが、まさに思いを残して大坂を発ったのである。
 そのときの無念さが蘇ってきて、利長は全身を震わせた。
 利長は瞑目し、なにかを思案しているふうだった。
 それから静かに眼を開くと横山長知に向かって命じた。

「大膳!その方、即刻上洛し、儂が微塵も異心なき事を内府に伝えよ。」

「はっ!?」

突然名指された長知は困惑した。

「と、殿!」

「大膳、聞こえなかったか。すぐに出立いたせ。評定は終わりじゃ。」

 

 

 ―芳春院さま、これでよかったのでしょうか・・・

 定吉はまぶたを閉じ、ひそかに胸のうちで芳春院に問うてみた。まぶたに浮かぶ芳春院は、しかし微笑むばかりでうなずきもしなければ、否とも言わない。

 大坂を発つ前日、定吉はひそかに芳春院に呼ばれ、言い含められていることがあった。

「あの子は―利長は、自分でこうしよう、こうしたいと思う事があっても、いざ実行する段になると躊躇する癖が昔からある。ことに決断すべき事が大きければ大きいほど、なかなか実行に移す事ができません。幼いころは私が背中を押してやればよかったが、今となってはそれもできません。
 そこで定吉殿、そなたに頼みがあるのです。そなたが利長の背中を押してやる役目を引き受けてはくださりませぬか。」

 芳春院は定吉に歩み寄り、その手を取って懇願した。
 重大な役目だった。すぐに返答する事はできなかったが、否とは言えず、定吉は大きな使命を密かに胸に秘め、利長に従って下向した。

 利長の決断の正否はわからない。ただ定吉には一つの目算があった。

―殿は元来心優しい方だから、御母上様や奥方様の命を秤にかけるような事だけはなさらないだろう。

 

 

 利長の命で大阪に赴いた横山長知は家康と会見し、主・利長が家康に対して少しの叛心も抱いていない事を心を尽くして解いた。
 家康は始終にこやかにその弁を聞いていたが、長知の言葉が終わるや表情を固くして、驚愕すべき条件を示した。

「潔白の証に御母・芳春院様を証人として江戸に差し出すべし。」

 さすがの長知も、一存で返答するわけにはいかず、いったん加賀へ戻り、利長の意を仰がなければならなかった。
 利長は苦渋の選択を強いられた。
 結局長知は三度加賀と大坂を往復して

「芳春院を江戸に差し出し、代わりに利長の養嗣子・猿千代(=利常)に家康の孫の子々姫(=珠姫)を娶わせる」

という約束が取り交わされ、事は落着した。

 

 

 芳春院が江戸に下るという事で前田と徳川の和解が成立したころ、今度は家康は会津の上杉に矛先をかえたらしい、という風聞が利長のもとに伝わってきた。

 上杉景勝は利長より一足早く国元の会津に帰っていたが、その上杉が戦の準備をしている、というのだ。うわさを聞きつけた家康が、景勝の上洛を再三促しているという。

―前田の次は上杉か。

 利長は他人事のように思った。前田にしたのと同じやり方で、じりじりと自分の思うように駒を進めていく家康の、穏やかな表情に隠された老獪な闇を思った。

 だが、意外な事に、上杉は家康の要請をかたくなに拒みつづけている。

―早過ぎたか。

 利長は、自分の決断を今更ながら悔やんだ。

―もし、上杉と結託して内府にあたったら・・・

 だが、事ここに至っては、もはや進むべき道は一つしかない。

―あくまで恭順。

 賽は投げられた。もはやあと戻りする事はできない。前田家はこの後、様々な家康の要請に答えていかなければならないだろう。一度膝を屈した以上、それ以外に道はない。
 利長は不本意だった。幸い妻・永姫は加賀に戻って来るが、母を質に取られ、母の代わりにやってくるはずの子々姫はまだ乳飲み子で、いつ果たされるとも知れぬ約定であった。

―自分の決断は誤っていたのではないか。

 時折頭をもたげてくる不信の思いを持て余す日々が続く…

 

 慶長5年5月20日、芳春院は江戸へ向けて発ち、利長の妻・永姫は家臣・横山長知に伴われ、加賀に戻った。
 長知は芳春院から利長宛に一通の文を預かっていた。

「私は江戸へ行くことになったが、残り少ない私の命のことを顧みて前田の家を潰すようなことは決してしてはなりません。あなたはまじめな方だから、亡き父の遺言を反古にしたことをきっと気に病んでいることでしょう。そのことでしたら、先に私があの世へ行って大殿になんとでも弁明しましょうから、気になさいますな。あなたはただ、前田の家が立ち行くことだけを考え、そうすることが父や母への孝行と考えなさい。いざというときにはこの母を捨てよ。」

 気丈な母だった。利長は文を握り締め、この気丈な母のために涙を流した。

 

 

 高畠定吉は、芳春院の江戸下向の護衛のため、芳春院に付き従った。

 伏見を発つ前日、定吉は自己の課せられた使命の行方を芳春院に思いきって尋ねてみた。

「芳春院様、これでよかったのでしょうか。」

 芳春院はふっと微笑み、

「八橋のかきつばたは、もう花が終わってしまったでしょうね。」

「はっ?」

「『伊勢の物語』をそなたはご存じですか?」

「いせの、ものがたり…?」

「業平という人物を主人公にしたという昔語りですよ。」

「ああ、それでしたら名前だけは…何分無骨者ゆえ、読んだ事はございません。」

「そうですか。その中に物語の主人公が我が身の不運をかこって東の国へ赴くという下りがあるのです。道々の趣ある風物にも何かにつけ都を思い出して涙するのですね。でも私には不遇な主人公より、東路のもの珍しげな風物の方に惹かれて、あるとき大殿に『伊勢の物語のような東下りがしてみたい。』と戯れに申し上げた事がありました。大殿は笑って『儂がそのうちそなたを連れて行ってやろう』と仰せになりました。あれはまだ、信長公がご存命の頃だったでしょうか。大殿との約束は果たされなかったけれど、こんなふうな形で実現するとは、思ってもみませんでしたよ。」

 芳春院は遠くを見やるようなまなざしで、静かに微笑んだ。

「親にとって子はいつまでも子のままなのです。『心の闇』とはよくいったもの。正直、私もこの先不安がないわけではありません。利長には『母を捨てよ』と言い置きました。そなたも同じ気持ちで勤めてください。」

 「この先に不安がある」と言った芳春院の表情は、しかし穏やかであった。定吉は愚問であったことを恥じた。この御方のために、我が命に代えても殿をお守りしなければという決意を強くした。

 

 芳春院を江戸に送り届け、すぐさま定吉は金沢に戻ったが、家中は戦支度でごった返していた。

 城に着くと利長に謁見し、江戸まで無事に芳春院を送り届けたことを報告した。

「大儀であった。」

「殿、いよいよ、でございますか。」

「うむ。内府から、会津の上杉討伐に赴く由、我らには越後津川口を攻めよとの旨知らせが参った。そちもすぐに支度を致せ。」

「はっ!」

 定吉が一礼をして下がろうとしたとき、

「大坂の秀頼公より火急の使者にございます!」

 使者から受け取った書状を読んだ利長の表情にはみるみるうちに苦渋の色がさしていった。

「殿、秀頼公はなんと・・・?」

「石見、皆を集めよ。評定を致す。」

 

 

―我らにお味方せよ。さすれば内府を倒した暁には北国七カ国を所領として与える。

 書状には、「秀頼」の名が、墨の色も鮮やかに書かれていた。もちろん秀頼自身が認めたはずはなく、石田三成がすべて執り行っていることであった。

「殿、殿は亡き大殿より秀頼公をお守りすることを仰せつかったのではありませぬか。秀頼公は殿を頼っておいでじゃ。ここで手を差し伸べなければ、武士の義が立ちませぬぞ!」
 最初に口を開いたのは利家の代から仕えている篠原出羽守一孝であった。

「成り行き上、内府殿にお味方する形となったが、もともと殿は内府殿には不信感を抱いておられたはず。ならばなんの迷いがありましょうや。」
 家康のもとに弁明に赴いた横山長知までもが篠原に同調する。

 利長は唇をかんで何事か言いたげな面持ちで家臣たちの言葉を聞いている。

 殿は迷っておられる―

「畏れながら―」

 定吉は利長の方に体を向けると、重々しく言い放った。

「御母上様をお捨てなさいませ。」

 予想外の定吉の言葉だった。利長はぎくりとして定吉を睨みつけた。居並ぶ者たちも自身の耳を疑った。

「石見!今、何と申した!!」

「何度でも申しましょう。御母上・芳春院さまをお捨てなさる覚悟をなさいませ。」

 利長の顔色からすっと血の気がひいた。

「その方、またしてもかような事を。それほどまでに我が母が憎いか!!」

 今にも腰の太刀に手をやって、斬りつけてしまいそうな剣幕だった。座にいた重臣たちは肝を潰した。 しかし、当の定吉はこうなることをはじめから予想していたふうで、落ち着き払って利長を睨みかえしている。

「憎くて申しているのではござらぬ。芳春院様はその覚悟を持って江戸に赴かれたのです。そのようにお心弱くていらっしゃるから内府殿につけ込まれるのですぞ!お心を強く持ちなされ!内府は秀頼公に楯突く謀反人ですぞ。殿は謀反人のお味方をなさるおつもりですか!!」

「黙れ!石見!」

―こやつ、儂の心を読んでおるのか。

「謀反人の味方」―その言葉は数ヶ月来、利長に大きくのしかかり、時として利長自身を悩ませつづけた言葉であった。
 利長は迷っていた。家康から出陣の命が下されたときもこのまま時流に流されていくような己をのろった。そして、秀頼の名で呼応するよう要請があったとき、心は揺れた。
 母を質に出すことで家康との和解は成った。いや、それは和解ではなく、一方的に家康の旗下に入る事を意味していたことをこの数ヶ月の間に否応なく思い知らされた。利長の心に懐疑が生まれていた。この期に及んで戦術ための軍義ではなく、自然話が「西につくか東につくか」ということになってしまっているのは、利長自身大きく迷っている証拠だった。
 家康に対する不信感は日を追うごとに募っていた。だが、自分には家康という巨人に抗うだけの力は持ち合わせていない。家康はあまりに巨大過ぎた。
 定吉の言葉によって、「母を捨てよ」と言ってよこした母の言葉が蘇る。自分はなにもかも捨て去らなければならないのだろうか―

 否―。

 いまこそ、思いを断ち切らなければならぬ。今こそ―。

 利長は、定吉の言葉を徹底的に否定しなければならないと思った。定吉の意に抗うことで時に心を悩ませてきた自分自身の思いと決別しなければならぬと思った。

「秀頼公にお味方しなければ、武士の義が立たぬ。だが、母を見捨てることは人の道に悖ること―」
 利長は一人ごとのようにつぶやいた。

 それから張り詰めた場の空気を引き裂くように、利長は言った。

「この書状は秀頼公の御意にあらず。前田は治部(=石田三成)の禄など食まぬ。ただ今より内府殿にお味方致す。」

 

 

 慶長七年冬。

 冬枯れの加賀の山を越え、京へ向かう一人の法体の男がいた。時折歩を止めては、恋い慕うような面差しで金沢の方を振り返る。

「無心」と号した、高畠定吉その人であった。

 僧形となった定吉は家督を子の定方に譲ったが、禄はわずか一千石を許されただけであった。定吉は減俸は自分のせいであることがわかっていた。そのことについて定方には申し訳ないことをした、と思っていた。
 しかし、嫡男の定方はきっぱりと言った。

「禄のことなど…。父上は当然のことを成されたまで。私がもし父上の立場であったなら、おそらく同じようなことを申し上げていたでしょう。」

 息子の言葉に定吉は安堵した。

「殿は元来心お優しい方じゃ。そのことは、むつきの頃から殿のことを存じ上げている儂がよく知っている。勤めに励めよ。」

 そう言い残して定吉は金沢を後にした。二度と再びこの地を踏むことはないだろうという思いを抱きながら。

―芳春院様、これで、よかったのですね。

 金沢の方角を懐かしむようにして見やりながら、胸の内で芳春院に尋ねてみた。面影の中の芳春院は、やはり微笑むばかりで頷きもしなければ、否とも言わなかった。【完】

 



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