文四郎さん

 

藤沢周平『蝉しぐれ』の主人公である。
私はあまり、小説の主人公に気持ちを入れ込んだりしないタチなのだが、この文四郎、ものすごくいい。容姿がいい、というのではない。容姿の事には触れてはいないから。
彼の生き方や、そこから感じられる稟とした優しさ(ただ優しいのではない)に、心ひかれるのである。

文四郎は海坂(うなさか)藩の普請組という下級藩士の家に養子として暮らしている。年の頃は十五、六。

この小説は、全編通してどこか懐かしいものが流れている。
木立と清流に囲まれた美しい風景の故か、それとも少年が大人になる途中でだれもが遭遇する不遇感、けだるさのようなもののせいなのか。
過去のどこかに置き忘れた忘れ物を思い出させてくれるような懐かしさが、この小説にはあふれている。

「少年が 大人になる途中」ということを書いたが、文四郎の通ってきた道は、決してありふれた平坦なものではなかった。
養父が藩の御家騒動に巻き込まれ、罪を問われて詰め腹を斬らされたからである。
その父と、最後の面会を許された時、言うべきことをいえなかった文四郎。

「親父に会っている間は思いつかなかったな」
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「親父を尊敬しているといえばよかったんだ」

文四郎の言葉を聞いて、友人の逸平が答える。

「そういうものだ。人間は後悔するようにできておる」

涙を流す文四郎。そんな彼を包み込むように、あたりを満たす蝉しぐれがやけに哀しい。

文四郎にはふくという幼なじみの少女がいた。
彼女は藩主の江戸屋敷に奉公にあがり、やがて藩主のお手がつき、藩主の子を生む。
正室と側室の確執渦巻く奥向きにあって、表向きの華やかさとは裏腹に、彼女の人生もまた決して明るいとは言えなかった。ふくは江戸へ上る前、文四郎に会いに来た。だが文四郎には会えず、そのまま江戸へ行ってしまった。
もし文四郎に会っていたら、違う人生があったかもしれない。
二人の歯車は、こうしていつしかかみ合わなくなっていく。

文四郎は決してペシミストではない。自分の遭遇した運命を、呪ってはいない。
もちろん父の死やふくの運命に対する憤りはある。
図らずも遭遇してしまった不運(自分では、いかんともしがたかった出来事)を目の前にして、人生の矛盾に気づきながらも、それをうまく飼い馴らして文四郎は生きていく。

20年あまり後……
「助左衛門」という父の名を名乗るようになっていた文四郎は、ふくと再会を果たす。

「文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか。」

ふいについて出たふくの言葉が哀しい。
互いにどこかでかみ合わなくなった歯車をまわし、それぞれの道を歩んできた。二度と引き返すことのできない道である。
藩主に先立たれ、ふくは尼になるのだという。
懐かしいという感情以上に、互いの遭遇した境遇を愛撫するような心持ちで、二人は短い時を過ごした。

ふくと別れ、馬を繰る文四郎を蝉しぐれが包み込む。
父と別れる日、あたりを満たしていた蝉しぐれ。
だが、きっとその時とは違った心持ちで、蝉しぐれの音を感じていただろう。


蛇足ながら……

この小説を読んでいると、蝉しぐれの音と共に聞こえてくる歌がある。
それは、GLAYの”SPESIAL THANKS”

誰にも過去の地図の上に忘れ得ぬ人がいる

いつかは・・・一人でもう一度
ここに戻るようなそんな気がしてたbe back in your eyes
まるでその場所に思い出の跡に忘れ物がまだあるようで

いつか未来の張(とばり)のどこかでふいにめぐり逢えるのなら
懐かしさにただ立ちつくす前にお互いの今を愛せるだろう

夏の向こうには戻れない夢がある
君といた日々は宝物そのもの

(written by TAKURO)

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