HIGHCOMMUNICATIONS TOUR 2003
付『胸懐』



 2003年3月29日 天候曇り 桜の季節にはまだ早く、肌寒さの残る弥生、3月・・・
金沢では約3年ぶりのGLAYのライヴである。会場となった産業展示館は、3年前にもライヴが行われた場所だ。

 会場に入ってまず目を引いたのは、海の中のパルテノン神殿(?)を思わせるようなステージだった。暗闇に深いブルーの照明が神殿(?)を映し出し、神秘的な雰囲気を作り出している。時おり電気海豚(!?)のシルエットがステージを横切って・・・

 ステージにライトが灯され、メンバーの姿が浮かび上がる。
 TAKURO、HISASHI、JIRO・・・おや?一人足りないではないか。いずこに・・・?と思っていると、天井からゴンドラに乗ってTERUが現れた。

 「BROTHEL CREEPERS」「誘惑」・・・とノリのいいナンバーを3,4曲演ったあと、ミディアム&スローナンバーへと移っていく。
 TERUのピアノの弾き語りによる「HOWEVER」。この曲はライヴで聴くのは初めてな上に、TERUの独唱という新たな試みで、詩の言葉が心にしみる。

 ―他の国では今、戦争をしている。そのことを少しでも考えるために・・・
 そういうTERUのMCのあと演奏されたのは「春を愛する人」。

     〜生きることは 愛すること 愛されること

 この曲はずいぶん昔の曲であるが、少しも色あせた気がしないのは、この曲を作ったころと同じように、いや、そのころよりもさらに深く、生きること、愛し愛されることを彼らが思い、考えているせいなのだろう。

 今回のライヴでは最近の曲に加えてこの「春を愛する人」のような昔の曲も何曲か演奏してくれた。どれをとっても昔を懐かしんで演奏されたというのではなく、彼らの今を表現しているような気がした。それは、自分たちの思いは今も昔も変わっていないんだよ、ということを私たちに知らしめると同時に、彼ら自身がそのことを確認するという作業だったのかもしれない。

 今回、新曲もしっかり披露してくれたのだが、数ヶ月たった今になってもまだ、CD化される気配はない・・・

 嬉しかったのは、「pure soul」を演ってくれたこと。青臭い青春物語のようなこの歌が、私は好きだ。

     〜ともに生きる家族 恋人よ 僕はうまく愛せているだろうか・・・

 普段何気なく過ごしてしまって、あたりまえのようになってしまっている家族や友人の存在をふと立ち止まって考える機会を、さりげなく与えてくれるからなのだろうか。

 楽しい時はいつしか流れ、ラストは「またここであいましょう」。
 天井から舞い落ちる紙吹雪に包まれて、GLAYのメンバーとともに、不思議の世界に迷い込んだような感覚―

     〜逢いたくなったらまたここへ来てよ ねえ
      何気ない会話のふしぶしにある 温もりに気付くから
      寂しくなったらまた逢いに来てよ ねえ
      僕は行くそうあの約束の地へ 果てしない祈りを抱きしめて

 果てしない祈り―
 平和への祈り、人が人を憎むのではなく、いとおしみ、愛し合えますように、弱い者が犠牲にならない世の中になりますように・・・
 言葉にすればひどく月並みでありふれたものになってしまうのだが、つまるところ、そういうことで、だが、事はそう単純ではない。
 次にあうときには、彼らのその「果てしない祈り」が少しでもかなえられていますように。私も祈らずにはいられない。
 そして、「またここで」彼らに会えることを。

 あれから約半年―

 先日、リーダーのTAKUROがエッセイを出した。
 そのあとがきで、ちょうどあのツアーの最中、彼らが、特にTAKUROが、相当なストレスを抱えていたことを知った。きっかけは、アメリカの、イランへの軍事介入に対する、TAKUROのごく個人的な見解を綴った新聞広告にあったらしい。TAKUROらしく、思いを詩というかたちで発表したのだったが、それに対する過剰なほどの反応が、TAKUROはじめ、メンバーたちに大きなストレスとなってのしかかってきたのだという。脅しの電話、身の安全も脅かされることにもなりかねない事態に遭遇し、TAKUROは改めて、この国で意見を発表することの困難を痛感したという。

 そのような状況の中でツアーが行われたということを後で知り、背筋が寒くなる思いがした。あのツアーが無事に終えられたことは、奇跡だったのかもしれない。
 GLAYのHPのインフォメーションに「HIGHCOMMUNICATIONS TUOR 2003は無事に終了しました」とさりげなく書かれた言葉が、やけに重く感じたりもする。

 そんなことがあったとは微塵も感じさせずに楽しませてくれた彼らは、やはりすごいと思う。

     〜生きることは 愛すること 愛されること

 「春を愛する人」の一節であり、TAKUROがエッセイの中で繰り返し書いている言葉でもある。平易な言葉であるが、ずしりと重い。


 (2003 8月記す)

                                    




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