≪越後編≫上越(新潟県上越市)

■春日山城址■

けんしん春日山城址に建つ謙信の銅像


上越地方の要害に立地した山城。14世紀中頃の築城と考えられている。守護代長尾為景のとき、戦時の要害として堅固な構えにした。

上杉謙信は数々の普請を行い、春日山城を天下の名城とした。

天正7年(1579)、御館の乱に勝利した上杉景勝が城主となり、何度か普請を行なっている。

慶長3年(1598)には、会津へ移封となった景勝に代わり、堀秀治が春日山城に入る。堀氏が、慶長12年(1607)、福島城を築城してそちらに移ることにより、春日山城は実質的な城としての運命を終えた。

当時の土塁や空堀の跡などがあちこちに残っている。城の西下にある大井戸は、現在も、満々と水をたたえている。どんな渇水でも、涸れたことがないという。非常時に、この井戸の存在は大いに役立ったことであろう。

兼続の屋敷跡や、景勝の屋敷跡なども残っている。現在は、木と草に覆われてしまっていて、当時を偲ぶよすがもない。その広々とした空間から、景勝や兼続の息吹をわずかに感じ取ることができるだけである。

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■林泉寺(上越市中門前)■

林泉寺
林泉寺山門



謙信の祖父長尾能景が、父の菩提を弔うために建立した長尾氏の菩提寺。謙信は7歳から14歳まで天室光育大和尚のもとで学んだ。
景勝が会津に移封された後は、堀氏、松平氏、榊原氏の菩提所となった。

宝物館には謙信はじめ、各城主のゆかりの品々が展示されている。直江兼続直筆の「月」という漢詩も展示されていた。

墓地には謙信、長尾能景、為景、川中島戦死者の供養塔もあるのだが、ちょうど工事中で、墓所への立ち入り禁止でお参りできませんでした。


■御館跡■


御館公園に建つ碑

前関東管領上杉憲政の屋敷跡である。

謙信の死後、上杉景勝と上杉三郎景虎の間で跡目を争った御館の乱のとき、三郎景虎がここ御館に立てこもった。

御館跡の発掘の際に、御館の乱の時に焼けたと思われる遺品が出土したそうであるが、現在は閑静な住宅地の中の公園になっており、往時をしのぶものはない。
「史跡 御館」の碑がなければ、かつてここで戦闘が繰り広げられたことに思いを至らせることはできそうにない。

場所:上越北警察署の近く


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