米沢道中日記

by ひでおさま

No.1

 

第1回 米沢入り 堂森善光寺へ
 
 山形新幹線に乗り東京から、約2時間半で米沢に無事に到着しました!そして青空と雪雲が戦っている?ような天気の中、駅前でレンタサイクルを借りて・・いざ出発!!。
 まずは、観光地図を確認して堂森の善光寺に向かいました。地図上では国道から左に曲がり、道一本?に見えたのですが・・実際は、突き当たり左に右に走った後、やっと目的の善光寺に辿り着きました。
 ここまで、駅から小雪の舞う中を約40分自転車で走りました(^^;が、東京では、既に春を感じて出発していたので、やはり東北の街そして雪国であることを実感しました。
 
第2回 松心山善光寺!?
 
 ・・辿り着いた、善光寺ですが米沢市役所の観光課から、送っていただいた観光地図に出ていた堂森善光寺ではなく・・。「松心山善光寺」という看板が出ていましたので一瞬自分は、どこに?来てしまったのか・・という不安が、沸き立ちました。      (−−?
 そんな不安の中、境内の右方向に進み入りますと、前田慶次供養塔なるものが目に入ってきました。(**)
 歩みより、塔を見てみますと昭和55年10月 吉日建立 とのことで確かにここが通称「堂森善光寺」であることがわかり、ひと安心して早速写真を撮り始めました。
 気がつくと、雪が雨に変わり・・そしてまた小雪に変わり始めました。
 
第3回  堂森から、そして宮坂考古館へ
 
 「堂森善光寺」で、慶次の供養塔を見つけ謹んで参拝し、そして写真も撮り終えた後、来た道を戻り「宮坂考古館」に到着しました。
 宮坂考古館では、倉が2つ並んだ展示館に、貴重な上杉家の甲冑や鉄砲等が展示されていました。
 ここで「上杉家の鎧と火縄銃」という図録を、買い求めたのですが・・。さらに予期せぬものまで、受付で売っていたのです。これが後で、翌日の日程に思わぬ影響を与える?ことになるのですが(^^;  
 
第4回 慶次道中日記販売中(^^)
 
 ・・で、予期せぬものとは、「前田慶次道中日記」という前田慶次直筆の旅日記と同資料編、道中行程地図、慶次の遺跡を訪ねる地図の4点セット米沢図書館発行 なるもので・・2,100円で売られていたのです。
 他には、慶次の甲冑テレカなどもありましたが(^^;。
 これは全て買いっ!! と思い・・お財布の中身も気にせず買い求めてしまいました。(^^)
 
第5回 予定変更!! 
 
 さて問題のセットの中の「前田慶次道中日記の資料編」と「慶次の遺跡を訪ねる(地図)」を読んでみますと・・。
 行ってきたばかりの堂森の善光寺の近くに、慶次の住まい「無苦庵」のあった?らしい場所 や慶次も利用していた泉である「慶次清水」そして市内の中央4丁目には慶次の墓所?「一花院」(堂森善光寺に葬られた説もあり?)と3ヵ所の所縁の場所が紹介されていました。

 当初の予定では、土曜日の米沢到着後に「堂森善光寺」と「宮坂考古館」の2ヵ所を・・。
 翌日曜日に、「上杉神社」と「宝物館」そして「林泉寺」という比較的時間に余裕を持たせた予定だったのですが。ここに来て、予定の大幅な変更を迫られることになりました。

 
第6回  音羽屋にて
 
 米沢の宿、音羽屋(新館の安いほう^^)で寛ぐ暇も無く、予期せぬ計画変更を、せざるを得なくなってしまいました(−−;
 ・・で、熟慮の末 日曜日の午前中に、再度堂森に向かい「慶次清水」と慶次の住まい「無苦庵」の跡に向かい・・午後から市内中心部にある「上杉神社」「宝物館」「林泉寺」 そして慶次の墓所(が、あったかもしれない!?)「一花院」に向かうギリギリの計画に立て直しました。
 これで、日曜日に市内循環バス「よねざーど号」に乗るぞ!の楽しみは、どこかに飛んでいっていまいました。
 堂森は、はじめから国道を走る路線バス停より歩く!とかなり距離がありますし「上杉神社」と「宝物館」と「林泉寺」も見学時間と1時間に1本の「よねざーど号」で移動、そして各バス停からの徒歩の時間を考えますと午後から新幹線までの約3時間半では、全く余裕がありませんでした(^^;

 そこで日曜日も、機動性のあるレンタサイクルを使うことに決めっ!ました。
 ただしその時、窓の外では雪が降りはじめていたのです。

 さて夜から降り出した雪は? 慶次の遺跡を訪ねる地図はアバウト?
迫る新幹線の時間! さて・・!?(^^)

 
第7回 そしてまた堂森
 
 日曜日の朝、まだ小雪が降り続きレンタサイクルの貸し出しは無理か?と思われた午前9時過ぎ、ようやく雲間から青空が見え始めました。
 「雪道なので十分注意してください!」のアドバイスも頂戴して、昨日も出かけた堂森に、再び自転車を走らせました。 と、行きたかったのですが、雪道での走行の為、昨日の半分以下の速度が精一杯でした(^^;
 で、慶次道中日記セットの中の、地図を見ながら・・まず初めに善光寺の前の道を東に向かい突き当たりにあるはず・の「慶次清水」を探したのですが・・ないっ!!のです。
 はっきり言って、地図に示された位置は・・ただの民家があるだけ!?他には、畑があるばかり・・。念の為、更に先まで東へ走ってみても工業団地に着いてしまうだけ。
 予定では、正午までに「無苦庵」も見つけておかないと時間がない!というのに・。
 地図上でDと示された「慶次清水」は、かなりアバウトな表示がされていて、仕方なく現地で独自の調査をすることになってしまいました。

        結論 慶次清水は、堂森善光寺の前の道を東に行っても、ありません(^^;           

 
第8回 「無苦庵」
 
 慶次道中日記についている地図は、あてにならない?と諦めつつ地図に示された付近を、ぐるぐる自転車で走り回ること約30分、八幡野球場のまわりにあるのは民家ばかりで時間ばかり過ぎて行きました。
 結局、堂森の北を走る道路沿いにある慶次が住んでいた「無苦庵」の跡を、先に回ることにしました。
 道路の北側には、工場や雑木林があり・・この辺り?と思われる場所の写真を数枚撮り終え、ふと道の南側にある雑木林に目を向けると、奥小さな川!が流れているではありませんか!?(^^;
 そこは昨晩からの雪が残り、雪が解けている所ですら水分満点・の枯葉(^^)が深く、殆ど湿地帯のようになっていて、倒木までゴロゴロしている光景で・・。
 スニーカーでは、どう見ても容易に入れそうも無い?状況でした。
しかし、雰囲気的に道中日記資料編の中で紹介されている写真と非常に似ていたため、自転車を留め雑木林の中にひとり入っていきました。
 でも知らない人は、自転車が・・いきなり1台道端に留まっていて何と思ったでしょうねぇ(^^;
 

  つづく そして・・やっと発見! 慶次清水 

 
第9回 やっと発見 慶次清水!
 
 道路側から、小川のような流れを辿りながら倒木と枯葉そして落ち葉を踏みしめる1歩ごとに、履いているスニーカーは地面に沈む状況でした。
 そんな悪路の中という以前に、道がない雑木林の中を更に段差を滑らないよう注意深く約100mは、歩いたでしょうか・・。やっと上流の水源に辿りつきました。(^^)v
 慶次道中日記資料編にある写真と同じ光景が、そこにはあり、確かに!ここが「慶次清水」であると確信しました。
 ただ石の小さな社と、その右に社の屋根部分のような石が置かれているだけで、ここが慶次清水だ!と表示してあるものは、ありません。
 折角の史跡なのに・・せめて木札でも立ててあればと思いました。
やはりここを訪れる方は、慶次に思いをよせる一部の方だけなのでしょう。  悪路を歩き、スニーカーは泥だらけにして辿りついたその場所は、周りの世界から隔絶されているかのようなとても静かな空間でした。
 時折、泉から湧き出す水の波紋が広がり、水が水面に現れた時の微かな水音まで聞こえました。 泉の中には、緑の水草が繁り・・。湧き出している清水の綺麗さが見てわかりました。 
 記念に、というか供養というか(^^;湧水の水を、一口汲んで飲んでみましたが、私にとっては一種の聖水を飲んだような感じでした。
 資料によると、昔は灌漑用水として利用されていたとのことですが最近では環境の変化により、湧水は細くなってしまったそうです。
慶次清水入り口
慶次清水全景
 
第10回 更に石碑までも・・。
 
 米沢での滞在時間が残り少なくなる中、「慶次清水」を後にして、再び自転車で西へ走り出してみますと今度は「無苦庵跡?の」近く、道路から北に50m位入った所に何か?石碑のようなものが・・ここにも。
 これも慶次の所縁のものでは!?と一応、自転車から降り近づいてみますと、○○慶次郎の碑 というものがあり、どうやら慶次の地元ということで同じ名前を付けた方の石碑がありました。
 ただ一応、民家らしき敷地内に立てられているものですので、○○の個人名は、伏せておきます。
 多分?慶次に傾倒された方のご家族の記念碑のようでしたが、同じ慶次という名前を付けられた方が、どんな方なのかな? 、つい興味を持ってしまいました(^^)

 以上、余談なのですが、参考までに・・。

 

 

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