上杉家江戸屋敷址を訪ねて

byTOMIY27様




たまたま手に取った歴史の本で、この碑の存在を知った。
上京のついでに見に行ってみようと思った。
日比谷公園から、桜田門方面に歩いていくと、左手に赤レンガの法務省の建物が見える。
本によると、植え込みの中に碑があると書いてあったが、探しても見つからない。
入り口の守衛さんに場所を聞くと、通り過ぎてしまったらしい。
地下鉄桜田門駅の地上出口の側、通りを挟んで向いに桜田門、右隣に警視庁が見える角にひっそりと碑は立っていた。
全長は70cmくらいだろうか、思っていたよりもはるかに小さくて、見過ごしてしまった。





碑には2003年5月に米沢市によって建てられたとある。
実は2004年の9月にも、この場所に来た。
その時も、人に尋ねたが、碑の存在を知っている人はいなかった。
まさに、ひっそりと米沢藩上杉家の江戸藩邸の歴史を物語っている。
上杉景勝や直江兼続だけではない、元禄赤穂事件の折には吉良上野介と実子の上杉綱憲が、
米沢藩の財政を建て直した米沢藩中興の祖、上杉鷹山こと、上杉治憲が住んでいたと思うと歴史の重さを感じる。
幕末の桜田門外の変もこの近くであったのだろう。

通りを挟んだ向いの警視庁が、直江兼続の住んでいた鱗屋敷や、毛利藩邸になるのだろうか。
来年には、ひょっとしたら警視庁の植え込みに直江屋敷址の碑が立つかもしれない。
関ヶ原合戦の敗者である、上杉景勝や直江兼続は、どんな気持ちでここから江戸城を見つめていたのだろうか。





「それぞれの兼続紀行」TOPへ

**HOME**

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送